というわけで、待望の日本公演が遂に実現する運びとなりました。公演日程は、3月2日から13日に掛けての全部で10回。詳しい日程は以下のようになっていました。
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《 1980年日本公演日程 》
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2日
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大阪フェスティバル・ホール
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3日
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名古愛知県勤労会館
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5日 |
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大阪厚生年金会館大ホール
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6日 |
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京都会館第一ホール
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8日
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東京渋谷公会堂
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9日
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東京サンプラザ・ホール(昼の部)
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9日
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東京サンプラザ・ホール(夜の部)
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11日
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東京サンプラザ・ホール |
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12日
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東京厚生年金会館大ホール |
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13日
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東京渋谷公会堂 |
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で、最近気が付いたのですが、昼夜2部構成の日もあったのですよね。う〜ん、やっぱりTOTOったら働きものだわ(笑)

今では伝説となった感のある1980年の日本公演における演奏内容なのですが、実は私自身はまだこの時期はリアルタイムでジェフ熱に魘されていたわけではなかったので、残念ながら、その盛り上がりぶりをあまり肌身に感じてはいませんでしたし、勿論ショウを観に行くこともありませんでした。実際にショウを見た人の感想として「あれは凄かったよ、特にドラマーがね」という意見と、「いや、そんなに大したことなかったよ」と、当たり前と言えば、当たり前なのですが、各人がいろいろな感想を持ったようなのです。しかし、何と言ってもこの日本公演を境に日本での本格的なTOTOブームが湧き上がったと考えてよいのではないでしょうか。純然たるギター・キッズであった私はこれらのライブの様子などは、当時の愛読書であったシンコーミュージック社刊『ヤング・ギター』誌やリットーミュージック社刊『ロッキングF』誌にて情報を得ていました。特に『ヤング・ギター』誌におけるスティーブ・ルカサーへのロング・インタビューなどは興味深く、何度も何度も繰り返し、読み耽った記憶があります。
現在、これらのショウの模様は数種類のブート音源や映像を通して伺い知ることが出来ます。中でも、FM放送でオン・エアされた3月13日 東京渋谷公会堂での演奏は絶筆的に素晴らしく、あれから20年強が経過しておりますが、未だに私に多大な感銘を与え続けている名演奏中の名演奏だと思います。他にも東京12チャンネル(現、テレビ東京)にて3月12日の東京厚生年金会館大ホールでの演奏の模様が、『ステレオ音楽館』という番組にて放送されました。この番組は司会が小室等、セーラ。ゲストに湯川れい子という面子。月曜日から金曜日午後6時〜(?)の帯の時間隊に15分番組として一週間連続して放送されるという豪華なモノでした。
ライブの模様は日別に感想を書いてみましたので、上記の一覧表のリンクから辿ってご参照下さい。なお、初日の大阪公演、また名古屋公演、京都公演等をご覧に行かれた方がいらっしゃいましたら、その時の様子をぜひお知らせ下さいませ。また他の公演についてもご感想等がありましたら、Jeff's World宛にお寄せ下さいませ。皆様のご協力をお願いします。
筆者は常々、「ジェフが初来日した1980年頃、日本ではある程度名が通っていたのか? 来日時は、TOTOのドラマーとして話題になったりしたか?」という疑問を持ち続けていたのですが、これについてNG様よりコメントを頂戴しましたので、紹介させていただきます。
『結論は、既に十分有名でした(笑) 当時は、フュージョン・ミュージックやAORの影響でアメリカのスタジオ系ミュージシャンは十分に注目されていました。音楽雑誌でいうと『ADLIB誌』が売れていた時代ですね。FM東京系でADLIB誌の編集長が出演していた番組があり、注目の新譜をよくオンエアしていましたから、リスナーがジェフの名前を聞く機会も度々あったと思います。また、ジェフは、ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」やラリー・カールトンの「夜の彷徨」のプレイなどで十分認知されていましたし、TOTOのファースト・アルバムも、評価は高かったです。私は、TOTO結成以前にジェフのプレイを聴き、コピーしました。確かラリー・カールトンの「ルーム335」辺りが最初だったかな?』
う〜ん、やっぱりジェフって凄い!......って意味不明な感想ですが、これでまた一つ疑問が解消された気がします。というわけで、他の皆さんも当時のことをぜひ思い出して教えて下さい!
今回の来日でジェフの使用した機材に関しましては『Jeff talk about his drumset』の "この辺り" からお読みいただけると参考になると思います。また関連コラムとして『キーマンはデヴィッド・ハンゲイト?』なるものを書いてみました。内容は筆者の妄想の塊りですから期待しないでお読み下さい -->> 
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