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日本上陸

1980年初頭から、TOTOのニュー・アルバム『ハイドラ』をプロモーションするワールド・ツアーが開始され、その皮切りとして日本公演が行われます。そして、これが、この先幾たびと繰り返し行われることとなる彼等の初の来日公演でもありました。それが3月の上旬のこととなるわけですが、実際には彼等はその少し前にアメリカで手慣らし的なライブを数本行っていました。来日直前に行われたとするカリフォルニア州サンタ・バーバラでのライブ・レポートが当時のミュージック・ライフ誌に掲載されていましたので、その記事から抜粋して紹介してみます。

「ステージ前半はニュー・アルバム『ハイドラ』からの曲を中心に演奏しただけで、プログラムの大半はデビュー・アルバム『宇宙の騎士』から成り立っていた。それらの新曲群の大半はブルーな感じのするもので、予想通り聴衆をダウンな気分にさせるらしく、あまり盛り上がらなかった。しかし、デピュー・アルバムからのヒット曲、聴き慣れた曲が次々と演奏される頃には、聴衆の殆どが立ち上り、床を踏み嶋らし、手を叩いてTOTOの演奏に乗っていた。ただ、PAシステムが悪かったためか、曲の切れ味が悪く、全体のバランスを欠いてしまい、音がパラバラに聴こえる結果となり、実際の演奏の良し悪しは評価しがたかった。

 ロサンゼルスにあるライブハウス、ロキシーで初めて彼らの演奏を聴いた時に比べてヴォーカルのボビー・キンポールがやや影を薄め、代わりにスティーブ・ルカサーがギタリストとしてだけではなく、ヴォーカリストとしても大きくフューチャーされていたのが、TOTOの新たなる方向性とは無関係ではなさそうだ。
 また、ジェフ・ボーカロのドラミングは下馬評通りのもので、スタジオ・ミュージシャンとしてベテランであるはずの他のメンバーが、ややもすると影が薄くなるほど、彼のドラムを全面に押し出したような印象を受ける。キーボードのデヴイッド・ベイチは芝居っ気タップリのパフォーマンスを演出するが、この動きはそれ程見応えのあるものとは言い難い。しかし、テクニックは言うまでもなく、スリリングで素晴らしいものだ。

 また、ステージ後方には、セカンド・アルバムのジャケットが描かれたバック・カーテンがセットされているが、照明、その他諸々のギミックがシンプルな為、一際映え、印象深いものとなっていた。
 デビュー・アルバムのグルービーさを失って、セカンド・アルバムではドラゴンや騎士などを登場させ、かつてのプログレシッブ・ロックに向かっていると判断させられたTOTOだったが、このライブは全く違っていた。サンタ・バーバラの若者はノリに乗っていたし、数々のヒット曲はアップ・テンボで会場の熱気にピッタリだった」。

 また、来日直前に行われたインタビューにおいてジェフは......
「今回のツアーは僕らのニュー・アルバム『ハイドラ』発表後、初めてのツアーなんだ。日本が皮切りで、その後でオーストラリアとニュージーランドに行くんだ。日本は是非とも行ってみたいと思ってた国だったから、今から僕達も燃えているよ(笑)

 ステージは全部で2時間30分位、新しいキーボードを備えてタイトな演奏をするつもりさ。バン・ヘイレンやイーグルスにも負けない、粋な好感の持てるステージをやりたいと思っている。だって、日本に行けば当然彼らと比較されるだろうからね。

 今回のステージではメンバー全員が違う高さで演奏するんだ。中央にはライトの付いたミラーを置いて、15〜16フィートもある大きなスクリーンに、演奏が始まる前にアニメーション・フィルムを映し、その後で”ダダダダダッ“と僕らが登場ってわけさ。

 日本に行った連中からいつも“どこどこが良かった”なんて類いの話しをさんざん聞かされているからね。こっちのミュージシャンの誰もが日本のオーディエンスは暖かくって大好きだって言ってるよ。とにかくTOTOの演奏を楽しみにしてて欲しいね」。

 







1980年に行われたマウンテン・エアー・フェスティバルにドゥービー・ブラザース、ヒューイルイス等と伴にTOTOも出演。





1980年、日本公演のチラシ。
9日と13日は追加公演であったことが分かる。

 というわけで、待望の日本公演が遂に実現する運びとなりました。公演日程は、3月2日から13日に掛けての全部で10回。詳しい日程は以下のようになっていました。

《 1980年日本公演日程 》


2日
大阪フェスティバル・ホール


3日
名古愛知県勤労会館


5日 大阪厚生年金会館大ホール


6日 京都会館第一ホール


8日
東京渋谷公会堂


9日
東京サンプラザ・ホール(昼の部)


9日
東京サンプラザ・ホール(夜の部)


11日
東京サンプラザ・ホール

12日
東京厚生年金会館大ホール

13日
東京渋谷公会堂

 で、最近気が付いたのですが、昼夜2部構成の日もあったのですよね。う〜ん、やっぱりTOTOったら働きものだわ(笑)




 今では伝説となった感のある1980年の日本公演における演奏内容なのですが、実は私自身はまだこの時期はリアルタイムでジェフ熱に魘されていたわけではなかったので、残念ながら、その盛り上がりぶりをあまり肌身に感じてはいませんでしたし、勿論ショウを観に行くこともありませんでした。実際にショウを見た人の感想として「あれは凄かったよ、特にドラマーがね」という意見と、「いや、そんなに大したことなかったよ」と、当たり前と言えば、当たり前なのですが、各人がいろいろな感想を持ったようなのです。しかし、何と言ってもこの日本公演を境に日本での本格的なTOTOブームが湧き上がったと考えてよいのではないでしょうか。純然たるギター・キッズであった私はこれらのライブの様子などは、当時の愛読書であったシンコーミュージック社刊『ヤング・ギター』誌やリットーミュージック社刊『ロッキングF』誌にて情報を得ていました。特に『ヤング・ギター』誌におけるスティーブ・ルカサーへのロング・インタビューなどは興味深く、何度も何度も繰り返し、読み耽った記憶があります。

 現在、これらのショウの模様は数種類のブート音源や映像を通して伺い知ることが出来ます。中でも、FM放送でオン・エアされた3月13日 東京渋谷公会堂での演奏は絶筆的に素晴らしく、あれから20年強が経過しておりますが、未だに私に多大な感銘を与え続けている名演奏中の名演奏だと思います。他にも東京12チャンネル(現、テレビ東京)にて3月12日の東京厚生年金会館大ホールでの演奏の模様が、『ステレオ音楽館』という番組にて放送されました。この番組は司会が小室等、セーラ。ゲストに湯川れい子という面子。月曜日から金曜日午後6時〜(?)の帯の時間隊に15分番組として一週間連続して放送されるという豪華なモノでした。

 ライブの模様は日別に感想を書いてみましたので、上記の一覧表のリンクから辿ってご参照下さい。なお、初日の大阪公演、また名古屋公演、京都公演等をご覧に行かれた方がいらっしゃいましたら、その時の様子をぜひお知らせ下さいませ。また他の公演についてもご感想等がありましたら、Jeff's World宛にお寄せ下さいませ。皆様のご協力をお願いします。

 筆者は常々、「ジェフが初来日した1980年頃、日本ではある程度名が通っていたのか? 来日時は、TOTOのドラマーとして話題になったりしたか?」という疑問を持ち続けていたのですが、これについてNG様よりコメントを頂戴しましたので、紹介させていただきます。

 『結論は、既に十分有名でした(笑) 当時は、フュージョン・ミュージックやAORの影響でアメリカのスタジオ系ミュージシャンは十分に注目されていました。音楽雑誌でいうと『ADLIB誌』が売れていた時代ですね。FM東京系でADLIB誌の編集長が出演していた番組があり、注目の新譜をよくオンエアしていましたから、リスナーがジェフの名前を聞く機会も度々あったと思います。また、ジェフは、ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」やラリー・カールトンの「夜の彷徨」のプレイなどで十分認知されていましたし、TOTOのファースト・アルバムも、評価は高かったです。私は、TOTO結成以前にジェフのプレイを聴き、コピーしました。確かラリー・カールトンの「ルーム335」辺りが最初だったかな?』

 う〜ん、やっぱりジェフって凄い!......って意味不明な感想ですが、これでまた一つ疑問が解消された気がします。というわけで、他の皆さんも当時のことをぜひ思い出して教えて下さい!

 今回の来日でジェフの使用した機材に関しましては『Jeff talk about his drumset』"この辺り" からお読みいただけると参考になると思います。また関連コラムとしてキーマンはデヴィッド・ハンゲイト?なるものを書いてみました。内容は筆者の妄想の塊りですから期待しないでお読み下さい -->> リンク先を参照する。


某オークション・サイトに出品されていた3月6日の京都公演のチケットの半券。




同上。3月9日のサンプラザ公演半券。



こちらはツアー・ブックの表紙。


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