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テキスト、「そして 1981年夏…終焉」掲載しました

先の特集「プロジェクト、ターン・バック」発進しました」に追加テキスト、「そして 1981年夏…終焉」掲載しました。私の1981年病に決着をつけるべくまとめたものです。妄想にお付き合いいただける方、ぜひ目を通してくださいませ。こちらのリンク先よりお読みいただけます–> そして 1981年夏…終焉

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  1. Harriet
    2013 年 4 月 9 日 22:03 | #1

    1981年8月下旬・・・となると,既にTOTO IVのレコーディングに入ってる可能性がありますよね。
    そのためのスタジオ代を稼ぐために仕事をしまくってた時期でも。

    あと,穿った見方ですが,Keyboard Magazine愛読者だった私には,David PaichこそYAMAHAのイメージです。
    だからJeffがYAMAHAでないメーカーを選ぶことで,日本の2つの大手楽器メーカーの協力及びプロモーションを得た・・っていうのは,やっぱ,ちょっと考えすぎですね。^^;

  2. jeffs-world
    2013 年 4 月 10 日 05:03 | #2

    >日本の2つの大手楽器メーカーの協力及びプロモーションを得た
    お〜新しい発送ですね。
    音楽の世界もはっきりとしたビジネスですから、
    我々が想像し得ない契約が存在するのかもしれませんよ。

  3. Harriet
    2013 年 4 月 13 日 14:08 | #3

    あとですね,当時既にYAMAHAはSteve Gaddがエンド―サーだったんですよね?
    Pearlならジェフを前面に押し出せる(サポートを最優先で受けられる)けど,
    YAMAHAではそこまでは難しいと踏んだとか。
    Gaddを押しのけて,というのは,やはり考えにくい気がします。

    もしくは,そもそもPearlが既に交渉していて,その内容がいまいちだったので,敢えてYAMAHAを使って,
    日本のメーカーだからだめなんじゃない,本気度の問題だ,もっと誠意を示せ!みたいなプレッシャーをかけた,とか。
    YAMAHAを叩くJeffとその宣伝効果の大きさを目の当たりにすれば
    Pearlもジェフ獲得のためにあらゆる条件を検討し直してくる,と読んだ等、いろんな妄想ができそうです。^^;

  4. jeffs-world
    2013 年 4 月 13 日 14:25 | #4

    ガッドを大プッシュしてましたよ。
    それに加えてコージーパウエルも引き抜きに成功!
    知名度で言えば、当時ならジェフはちょっと落ちます。
    もちろん最終的にはパールのドラムがジェフに一番しっくりきたんでしょうが、
    ジェフも含めて有名ドラマーの引き抜き合戦は相当熾烈だったと思われますよね?

  5. Harriet
    2013 年 4 月 14 日 20:24 | #5

    技術的に大差なければ,より自分のために尽力してくれるメーカーを選ぶと思います。
    Pearlのその後のJeffを使った宣伝ぶりを見る限り,Pearlはそのあたりをかなりアピールした可能性もありますよね。^^
    「あなたのためのここまでします!」と言われたら,それはそれでぐらっと来そう。(笑)
    他のエンド―サーのメンツを見て,これなら俺がトップだなってJeffも思ったのかも。(笑)

    ともあれJeffはドラムだけではなく自分の音楽活動(特にTOTO)をしっかりサポートしてくれるメーカーを吟味した結果が,ちゃんとライブで集客できて治安も良く訪問しやすい,日本という国のPearlというメーカー・・・だったのかもしれません。^^

    PearlはPearlで,Jeffをサポートしていく過程で厳しい注文に応えるために技術力を身につけたでしょうから
    いわば,Jeffが育て,Jeffと一緒に成長したメーカーと言えるかもしれませんね。^^

    そう思えば愛情増すでしょ?(笑)