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 1981年8月22日(土)。高校三年生だった真夏日…あの日、いったい何が起きたのか、それとも何事も無かったのか。時が流れて解決することもあれば、そうでない場合もあると。あの日のことが未だに私に影を射しているのは、JWをご覧になっていただいているのなら、先刻ご承知のことと思います。なので、何でこのテキストを書いているかの理由は度々書いておりますので、とりあえずコレ読んでください(注1) 凄い手抜き(爆) ん「それじゃ端折り過ぎだ」と、怒られそうなので、さわりだけちゃちゃと書いておきますと…1981年8月22日ってのは、今も毎年行われている『24時間テレビ、愛は地球を救う』が、その年に放送された日です(注2)。で、この年はTOTOが生演奏するというプログラムが組み込まれていた(夢じゃなければ)わけですが、結果から言いますとそれがキャンセルされてしまった、ということです。
 先のリンク先の編集過程において、当時のことが思い浮かび、またゾロゾロと過去のことが気になりだしまして、それじゃ何か調べられることはないのかと思い立ったのがこのテキストです。なので、完全に予定外、大急ぎで調べたもので、内容は妄想・妄想・妄想だらけで、誤字脱字は上等だぁ〜 で書いております。まぁこんなコアなことに興味ある方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、その点をご了承していただいて先に進めて行きます。

 まずは、私の頭の中にある記憶を整理してみます。

(1) TOTOが24時間テレビに衛星生中継で出演

 まず基本的なことなのですが、この情報をどのようにして私が得たかの記憶がありません。ただし、ある程度前からそのことを楽しみしていたので、メディア(雑誌?)を通じて何らかの発表があったものと思われます。毎年、番組内の深夜枠で音楽のライブを放送するコーナーがあったので、そこでの出演が予定されていたのでしょう。

(2) TOTO出演のキャンセル

 これも事前に何らかの形で情報を得ており、番組の放送時点では既に出演しないことを知っていました。そして、かなり落ち込んでいたと思います。もしかすると当日の新聞のラテ欄にTOTOの表記が無かったことでそう判断したのかもしれません。
 キャンセルの理由はロサンゼルス空港での大規模なストライキがあり、メンバーがロサンゼルスに集まることができなかった。これは後日ヤング・ギター誌(号数は失念)に記載があったので確かだと思われます。
 これも私の勝手な想像ですが、TOTOがキャンセルすることになったので、急遽同じ事務所に所属するブラザーズ・ジョンソンに白羽の矢が立ったのか? なんて想像してます。

(3) 番組の様子

 TOTOが出演しないことが分かっていたので、ちゃんと番組を見る気もなく、ちょろっとだけチャンネルを合わせた記憶があるだけです。で、私の記憶の中では出演者はブラザーズ・ジョンソンしか残ってません。しかもマイム演奏でした。ただ、レイ・パーカーJr.がブラジョンのステージに飛び入り参加していた映像が頭にこびり付いてます。正直映像的な記憶はこれだけです(^^;

(注2) コレ読んでください
「プロジェクト、ターン・バック」発進しました
(注2) その年に放送された日です
番組の放送は深夜を回っているので正確には23日(日)でしょう(^^; ●24時間テレビ、愛は地球を救う

第4回 1981年8月22日(土)〜23日(日)
テーマ
アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念
総合司会
 徳光和夫 見城美枝子
チャリティーパーソナリティー
 萩本欽一 宮崎美子
 しかし、今思うとブラジョンのアルバム『ウィナーズ』(注3)がリリースされたのがなんと米国では1981年7月のこと! それを考えれば、当然ニュー・アルバムからの楽曲を演奏した可能性が大なわけで、マイムとは言え"I Wnat You"、"In The Way"の演奏シーンが見られたのかもしれません。勿論それを知っていれば例えTOTOが出演しないことが分かっていても見たはずですから、この時点では日本ではまだリリースされていなったのか? このアルバムはリリースされて直ぐに買ったという記憶があるんですけど。まっ、いずれにしても、惜しいことをしました。

 私の記憶にあるのはたったのこれだけのものでした(^^; しかし、以前に掲載しました♪いむやむさんのレポート(注4)と、私の記憶を照らし合わせれば、私の記憶が差ほど狂っていないということが想像できると思います。流石にいむやむさんは日記を書かれていただけあって、ブラジョンの他にディーヴォのことが記録されていますが、残念ながら、私にはその記憶が全くありませんです(笑)

(注3) ブラジョンのアルバム『ウィナーズ』
Brothers Johnson / Winnsers
(注4) 以前に掲載しました♪いむやむさんのレポート
Historical View "Goodbye Elenore"の項
 というわけで、私のトラウマに引導を渡すべく、東京都新宿区にあります中央図書館に足を運び、当時の新聞を漁ることで、私の記憶の思い違いやら、妄想を正すべく、そして、何か新たな情報が得られないか、ということで、突撃してまいりました。

 では図書館で得られた結果をまとめます。

●ロサンゼルス空港でのストライキについて

 まずは、キャンセルになった理由とされるロサンゼルスでのストライキですが、これは確かにその通りで、当時の紙面でもそのような報道がありました。ただし、正確にはロサンゼルでの限定というわけではなくて、1981年8月3日にストを決行した全米航空管制官労組を、政府は全員解雇で対抗しようとしたのですが、逆にそのことがスト参加者に火を付けることになり、他国の管制官協会へ同調を取るように呼びかけるなどして、かなり大規模な騒動になっていったようです。報道によれば実際にカナダでもストはあったみたいです。但し、8月22日に完全に運航が止まっているというような報道はなかったので、一部の便が欠航となっているという状況だと思います。それと、残念ながらそもそもストの原因となったことまでは調べることができませんでした。

●「24時間テレビ、愛は地球を救う」について

 日本テレビ系列をキー・ステーションに放映ということで、主に読売新聞を中心に、8月22日(土)を前後にして紙面を漁ってみたのですが、事前に軽く番組構成が掲載され、こういうライブ番組を放送をしますということが書かれていたのみで、その詳細についての告知なり、記事等の掲載はありませんでした。読売ほど真剣に調べませんでしたが、朝日、毎日も同様だと思われます。

 頼みの8月22日(土)の朝刊ですが、ラテ欄、深夜枠に「3:30 am ロサンゼルス衛星生コンサート」なる番組名を発見!

 が、扱いとしてはこれだけです。出演者は、S・スタローン、カーペンターズの二組。

 しかし、夕刊になりますとラテ欄の下段、紙面の3分の2を占領する形で大きな番宣が、読売、毎日、朝日ともに共 通のフォーマットで掲載されていました(注5)





 きたぁ〜 これだ、これです!

(注5) 紙面の3分の2を占領する形で大きな広告が、読売、毎日、朝日ともに共 通のフォーマットで掲載されていました。
そこには、流石にラテ欄よりは詳しい情報が表記されておりました。当然TOTOの名前はありませんが、いむやむさんの日記にあるように、ブラザーズ・ジョンソン、ディーヴォ、レイ・パーカーJrの名前があります。他にもカーペンターズ、ハーブアルパート、レイフギャレット…と今考えるとかなり豪華な面子ですよね。当時でもお金持ちの家には既に家庭用ビデオがあったので、番組を録画した方もいると思われるのですが。残念ながら私の家でビデオを購入するのはこの暫く後のことでした(注5)

 まず、深夜枠での番組というのはミッドナイト・チャリティー・マラソンというコーナー内に組み込まれた「ロサンゼルス衛星生コンサート」ということだったのですね。
ちなみにこの時点では例のマラソンコーナーは始まっていませんので、別の意味でのタイトルだと思います。
 このように紙面上でTOTOの表記が無いことから、キャンセル自体はある程度前の時点で決まっていたわけで、突発的な出来事ではなくて、そこそこ前に決まっていたわけです…う〜ん、本当に管制官のストライキが出演キャンセルの原因なのでしょか? 衛星生中継するほどの大掛かりなイベントなので、感覚から言うとそんな簡単にはキャンセルはしないと思うのですが、そうなるのならよっぽどの事情なのか、突発的な問題で対処のしょうがないという状況だと思います。それにどうせマイム演奏なんだから、体だけあればいいわけで…一人位なら欠けてても分からないでしょう(笑) そもそもアンタ達はロサンゼルスに住んでてて、仕事先もすぐご近所じゃないですか…えぇ、それが不可能というなら、どこかへ誰かが遠征してた? 私にとっては今も昔もいまひとつ納得できないのが、このキャンセル理由です。ゆえにそれがトラウマなのです。
 それとTOTOがキャンセルになってブラジョンがと思っていますが、元々「TOTO + ブラジョン」でTOTOだけがキャンセルしたということも考えられますよね。

 番組自体は3:30 am 〜 6:00 am ですから、2時間30分で、出演者がこれだけの組数がありますから、持ち時間30分弱かな。ちなみに22日(土)の夕刊のトップ記事は「台湾旅客機が空中爆発」という見出しで飛行機の事故を伝えています。残念ながらこの事故で作家の向田邦子さんが亡くなってます。

●その他の補足情報

 その他の出演者がはっきりしたことで、他にも情報があるかもしれないと思い、ネットを検索してみると、極わずかですが、記述を発見することができました。さすがに出演しなかったTOTOのことはありませんでした。

 ・現地での司会役として小林克也が抜擢されていた。
  同年4月よりはじまった洋楽番組「ベストヒットUSA」の司会を努めていたわけですし、まさに適任。
 ・カーペンターズは屋外から衛星生中継出演。しかし、生演奏は無かった模様。ということから考慮しても、例えTOTOが出演したとしても、やっぱりマイム演奏だった可能性が大ですね。でもディーヴォの演奏に衝撃を受けたという記述もありますので、本当の生演奏した組もあったのかも?

 こう考えるとTOTOを選択したことも含めて、日本テレビのこの企画はとても良かったのではないのでしょうか。番組をきちんと見なかったことが悔やまれてなりません、大反省です。

(注5) 残念ながら私の家でビデオを購入するのはこの暫く後のことでした
1982年のTOTOの来日公演の模様したNHKヤングミュージックショーはベータで録画しました。


(注2) その年に放送された日です
番組の放送は深夜を回っているので正確には23日(日)でしょう(^^;
 最後にちょっと妄想してみます…もしTOTOがほんとうに出演していたのならどうなっていたのか、当然楽曲は、『ターン・バック』が中心、ベースはデヴィッド・ハンゲイト、TOTOのメンバーとしての最後のライブでの雄姿! そして、その日用意されていたドラムは当然ヤマハだったことでしょう!!! まさにエレノアのビデオの再現です! うおぉ〜 絶対に見たかったぞぉ〜

 しかし、ジェフは後年になっても再びヤマハのセットを叩くことが無かったということは、ヤマハを受け入れることのできない、許容できない何らかの理由があったのか、はたまたパールとの契約に非常に満足していたのか、もう一度、ジェフがヤマハと叩く姿を見てみたかったものです。

 というわけで、これが今回の調査で分かったことです。素人の私ではこれ以上のことは調べられませんでした。あとは当時の日本におけるTOTOのディレクターさんとか、日本でのファンクラブもあったので、会長様とか、そのあたりの方ならモアベター(笑)(注6)な情報をお持ちなのかもしれません。私としては当日の番組情報が得られたことで、大満足でした。これで私のトラウマは解消されるはずです、終焉です ... そうなるはずです ...
 
 以上、レポートを終わりにします。
 
2013年4月 管理人@Jeff's World
(注6) モアベター
小森のおばちゃまの決め台詞