Historical View

"Miss sun"は誰?

ボズ・スキャッグスとのコラボレーションが大成功となる一方でジェフとデビッド・ペイチは本格的に自分達の演りたい音楽が出来るバンドの準備を始めます。以前の章でも書いたようにそれは既に『Silk Degress』を録音している頃、いやそれよりももっと前のスティーリー・ダン『Katy Lied』の頃まで遡っているのかもしれませんが......。そしていよいよ1977年頃になるとボズ・スキャッグスの『Down To The Left』(*注1)セッションと平行しながら、その行動はより活発化して行きます。 ちなみに余談ではありますが『Down To The Left』でスティーブ・ルカサーを起用することを口添えしたのはジェフだったようですね。それによりあのスティーブ・ルカサーの大名演“A Clue”のギターソロが生まれたわけです。

 「誰だって自分のバンドを持ちたいはずだよ。スタジオに行って自分の好きな音楽をプレイしてお金を貰えるんだから。そこでは自分がボスで自分の秘蔵っ子を作るわけだろ。自分の為の仕事をして、なおかつそこに5人の兵隊がいるんだ、誰にとってもそれが最終目標だよ。だから、僕にしても、まっとうなスタジオ・ドラマーとして人生を終わる気はなかったし、“スタジオ・ドラマー”と人が話すあの感じにもうんざりしていた。内部の政始力みたいなものとか、スタジオの人間に対して要求されるもののもう全部嫌いだった。まあ、そんなこんなで僕らは退屈していたから“よし、自分たちでバンドをやろうじゃないか”ってことになったんだ」......ジェフ。
 
 この時点でそのニュー・バンドへ参加することが正式に決まっていたのはジェフ、デビッド・ペイチ、スティーブ・ルカサーの3人だけだったようですが、ここから徐々にメンバーが固まって行くことになります。そして手始めに"Miss Sun"、"Love Is A Man`s World"等が新しいバンドのデモとして録音されました。
 
 「ある時、ジェフが私が仕事をしていたサウンド・ラブス・スタジオに駆け込んで来たんだ。彼は『Silk Degrees』を録音していたスタジオでデヴィッドと2人だけで作ったデモの出来の良さに少し興奮していた。そのデモとして作った3〜4曲全部を私に聴かせるのが待ち遠しいといった感じだったね。私は彼らの作ったデモをその場で聴いてみたんだけど本当に素晴らしい出来だったんだ。凄いドラム・グル一ヴが入っている“Miss Sun”という曲が特に気に入った。結局彼らはTOTOのレコードでこの曲を使うことなく、1980年にデヴィッド・ベイチがボズとのレコーディングでこの曲を使うことを承諾してくれたんだ。この曲のキーがボスに合っていたから、デヴィッド、ジェフ、私の3人はこの曲を本当に再レコーディングする必要があるかどうか、何度も検討した。最終的に再レコーディングする決心をし、かなりの時間を費やしたよ」とは後にTOTOのレコーディング・セッションにて重要な役割を演ずるビル・シーニュ......リットーミュージック刊『ドラム・ブラザー』誌より。
 
 そのジェフの叩き出した驚異のグルーブを誇る"Miss Sun"ですが、曲の後半部分にゲストとして登場するのがリサ・ダルベロです。このデモ・セッションにまつわるエピソードが、2000年末に初CD化された彼女のアルバム『Lisa Dal Bello』(*注2)に添付されたライナー・ノーツ上で幾つか紹介されております。詳しくはこのCDを手に入れてからお読みいただくとしまして、興味深い記述がされておりますので、簡単に抜粋してみます......。
1. カナダで既に名前の売れつつあったリサ・ダルベロはデヴィッド・フォスターを知人に紹介され、彼のプロデュースのもとジェフ、デビッド・ペイチ、マイク・ポーカロ、ジェイ・グレイドン等を従えてアルバムを製作をすることなった。
2. このレコーディング終了後、意気投合したリサ・ダルベロとジェフはステデイな関係となった。
3. その流れからか、当時TOTOのデモ・テープを作っていたジェフ等に頼まれて"Miss Sun"のレコーディングに参加することとなった。そしてその曲の後半部で繰り広げられる男女の交わす甘い台詞はリサとジェフによるものだった!
4. エリック・カルメンのセッションでジェフと一緒になった時、ロジャー・リンがジェフの音をサンプリングしたドラム・マシン/シーケンサーを作りたいと申し出たこと等々。
 ざっとこんな感じですが、これらは強烈なエピソードですね、皆さんぜひこのCDを手に入れて、このライナー・ノーツを読んでみて下さい。
 
 話しを元に戻しますが、結局現時点ではこの頃に録音されたデモは前記の二曲しか耳にすることが出来ないわけですが、これらから類推してみるとジェフとペイチの圧倒的存在感が前面に出ており、まだ若かったスティーブ・ルカサーは“ひよっ子”という感じですね。 曲作りもジェフとデビッド・ペイチが2人でスタジオに入り、デビッド・ペイチがピアノを弾きながらサラッと歌いながら原曲をジェフに聞かせてそれをジェフが煮詰めて行く、という感じで作られたような気がしますが。どうですか? 後に、とあるラジオ番組でTOTO初期時のリハーサル風景が放送されましたが、これなんて聞くとまさにそんな感じです。作曲者としてはデビッド・ペイチの作品となるのでしょうが、ジェフの貢献度は何度も言われて来ているように単なるドラマー以上の存在であったのは言うまでもありません。そしてこのデモ録音時頃にスティーヴ・ポーカロとデビッド・ハンゲイトがバンドに参加することが決まったようです。スティーヴ・ポーカロはともかくとして、何故ベースがマイク・ポーカロではなくデヴィッド・ハンゲイトだったのでしょうか? あるインタビューでジェフはグループ結成時にもマイク・ポーカロに声を掛けたが、マイク・ポーカロが“まだ自分自身バンドに参加する準備が出来ていない”からとして、これを“断った”と話していたこともありましたが。実際にところはどうだったのでしょうか。単純にそれだけの理由だったのか? それともフィールとかテクニカルな面でデヴィッド・ハンゲイトを選んだのか? いずれにしてもどちらのベーシストも有能な人選であることに間違いはなく、TOTOにとって最適な二人なわけですから......。結果的には歴史通りに事が運んで正解だったわけでしょう。
 
 最後に加わったのが初代リード・ボーカルのボビー・キンボールでした。1947年3月29日生まれ、ルイジアナ州ヴィントンの出身。子供の頃の彼はデキシーランド・ジャズを好んで聴き、レイ・チャールズ、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケットなどに傾倒していたのですが、彼も例に漏れることなくビートルズに出会ってからはそれらが一変しホワイト・ロック・バンドへと興味が変わって行くのです。ニュー・オリンズでしばらくバンド活動をした後でロサンゼルスにその活動の場所を移します。そしてスリー・ドッグ・ナイトの前身であるS.S.フールズに参加、その活動を通じて1977年にジェフ達と知り合うことになります。そして、ちょうどS.S.フールズとしての活動が上手く行かなくなった時にTOTOの話が舞い込んで来たわけです。最初にジェフ達はマイケル・マクドナルドやケニー・ロギンスらにボーカルを頼んでいたようですが、良い返事を得られなかったようで、代わりの候補者探しをしていた所にボビー・キンボールの名前が上がったようです。

(*注1)
Boz Scaggs_Down To Then Left
CBS SONY INC.

1. Still Falling For You
2. Hard Times
3. A Clue
4. Whatcha Gonna Tell Your Man
5. We're Waiting
6. Hollywood
7. Then She Walked Away
8. Gimme The Goods
9. 1993
10. Tomorrow Never Came / Tomorrow Never Came - (reprise)


GO! 『Discography』

(*注2)
Lisa Dal Bello
MCA RECORDS INC.

1. Look At Me
2. Stand In Your Way
3. My Mind'S Made Up
4. Snow White
5. Touch Me
6. Talk It Over
7. Stay With Me
8. Day Dream
9. Milk & Honey
10. Everything Money Can Buy

GO! 『Session Works』

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