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Jeff talk about his drumset
1981
 この年はTOTOとしてのライブ活動が行なわれなかったので、ジェフがどんな機材を使用していたかを知るにはあまり資料が残されていません。しかし、僅かながらもセッション時の写真やプロモーション・ビデオ等がありますので、その辺りを組み合わせて想像してみます。
 まずは春先に飛び込んで来たのがTOTOのニュー・アルバム『ターン・バック』(注1) と、そのプロモーション・ビデオ "Goodbye Elenore" 等の衝激映像でした (注2)
(注2)プロモビデオ"Goodbye Elenore"の衝激映像でした
この火の出るようなプロモでジェフが使用していたセットはなんと、なんとラディックから一転ヤマハのものでした(注3)。お〜美しきは YD-9000R よ〜 ..あの漆黒に光り輝くシェルの美しさ、私にとってはまさにヨダレものでした(じゅる〜リ)。ドラマーでもない私が本気で "ドラム・セットが眩しいよ〜" と思ったのはこの時が最初なのです。単なるミーハー心満載でしたが、この頃から加速度的に私のジェフ熱がヒート・アップして行くことになります。

 というわけでこの頃のジェフはヤマハへスイッチという重大な極面(?)を向かえました。ここで "スイッチした" という言葉が適切かどうかは別としまして、ヤマハとジェフとの関係について一度考察しておく必要があるでしょう。そこでスペシャル・コラムとしまして、再びよっさんにぺンを握っていただきました。
 題して《 ジェフがメイド・イン・ジャパンに求めたものは? 》。よっさんと一緒にこの難題に取り組んでみましょう。スペシャル・コラムはコチラからお読みいただけます ==>
 また、前述の "Goodbye Elenore" のプロモーション・ビデオですが、こちらは別コラムとして《 ドラム素人はこう見る 〜 そりゃあスティックも投げるわな 》を書いてみました。こちらは管理人によるミーハー節全開のおちゃらけ編です、内容濃密度数はゼロ! コチラからお読みいただけます ==>

(注1) TOTO / Turn Back
(注3)ラディックから一転ヤマハのものでした。
 元々レコーディング時にどのメーカーのものを使用していたかなんてことは分からないわけですが(^^; 最近の研究の結果からなんだかんだ言っても最後はグレッチなのかな...と感じています。
(注5) ヤマハのセットを使ったことは明白でしょう
 疑いだしたら切りがなくなるので、そういうことにしておきましょう。
(注4) クレジットされているわけで...。
 で、結局のところジェフとヤマハの関係ってなんだったんでしょうね? ジェフとヤマハは契約をしていたのか、否か?ってことです。アルバム『ターン・バック』には、"Jeffrey Porcaro uses Yamaha and Ludwig Drums." とはっきりクレジットされているわけで(注4) 、エンドース契約が成立していたかどうかはともかく、あのアルバムでヤマハのセットを使ったことは明白でしょう(注5)。そして前述のプロモでの目立たせ度等から判断して、なんらかの契約事項があったと考えるのが自然ではないでしょうか? んが、しかしそれは契約の種類としては非常に緩やか〜なものだったのではないかと想像しています。
(注7)スティーブ・ガッドがRのディープ・グリーンのモデルを使っていて
 というのはジェフとヤマハの蜜月期間と思われる1980年頃から1982年にかけて、ジェフがヤマハのカタログにはとうとう "一度" も登場しなかったからです (注6) 。当時は確かスティーブ・ガッドが YD-9000R のディープ・グリーンのモデルを使っていて (注7) 、ヤマハはそれを前面的に打ち出した広告展開していたかと記憶してます。もしも仮にジェフが正規のエンドーサーであるならば、さしずめレコーディング・ブラックをイメージ・カラーとして全面的にプッシュしたことでしょうし、ましてやカタログに登場しないなどということはあり得ないでしょう。

 これまた深・深〜読みになるわけですが、よっさんが推察するように(注8) 、ヤマハの本来の目的はTOTOのキーボード陣であり、ジェフには「お試し的に当社のドラムを使ってみて下さい」、みたいな軽いノリだったとか。はたまたヤマハ側がジェフをど〜うしても納得させることが出来なかったのか? と、まぁ幾らでも想像出来ちゃうわけですが。それでも少なくても『ターン・バック』のレコーディングでは大活躍したわけですから、ジェフの好みのサウンドを奏でることはできたんですよね。

 それとラディックとの関係も腑に落ちません。少なくともアルバム『ハイドラ』をレコーディングしてた時点では、ジェフはラディックとはエンドース契約を結んでいたのは事実と思われます。しかし、ここではヤマハとラディックと並列的に扱われていますが...? それとも既にエンドース契約は解除されていたのか?

 だいたいね〜 こんな事に未だにこだわってるのって世界広しと言えどもきっと私だけなんだろうな〜 これがパールとの契約みたいに真っ当なエンドーサーだったのなら、こんなに気になるということもないんでしょうが (笑) まぁ、いずれにしてもヤマハとジェフの関係は闇の中。ジェフの口から真実が語られることは金輪際無いわけで。後はヤマハの関係者から真実を語っていただくしかないですね〜 というわけで、もう時効ということで事情通の告白をお待ちしております。

 私事ではございますが、1981年は必死にヤマハのカタログを追い続けました。が、とうとうジェフは登場してくれませんでしたね。その後はご存知のようにあぁいうことになってしまいました。今の私のヤマハへの執着心はこの時の執念の燃えカスのせいなのかしらん (笑)
(注6) ジェフがヤマハのカタログには "一度" も登場しなかったからです
 もし、ジェフがヤマハのカタログに登場していたらなら... 想像ですが、きっとこんな感じになっていたのでは (爆) ヤマハもこんな風にカタログに掲載する気満々だったはずぅ〜
(注7)スティーブ・ガッドがRのディープ・グリーンのモデルを使っていて
 正直このグリーンのセットも滅茶苦茶かっこえかったわ。深みのある色合いに惹かれるところがありました。実物は見たことことはありませんが(爆)
(注8) よっさんが推察するように
《 ジェフが〜求めたものは? 》をご一読ください。
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