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(注4) クレジットされているわけで...。 |
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で、結局のところジェフとヤマハの関係ってなんだったんでしょうね? ジェフとヤマハは契約をしていたのか、否か?ってことです。アルバム『ターン・バック』には、"Jeffrey Porcaro uses Yamaha and Ludwig Drums." とはっきりクレジットされているわけで(注4) 、エンドース契約が成立していたかどうかはともかく、あのアルバムでヤマハのセットを使ったことは明白でしょう(注5)。そして前述のプロモでの目立たせ度等から判断して、なんらかの契約事項があったと考えるのが自然ではないでしょうか? んが、しかしそれは契約の種類としては非常に緩やか〜なものだったのではないかと想像しています。
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(注7)スティーブ・ガッドがRのディープ・グリーンのモデルを使っていて |
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というのはジェフとヤマハの蜜月期間と思われる1980年頃から1982年にかけて、ジェフがヤマハのカタログにはとうとう "一度" も登場しなかったからです (注6) 。当時は確かスティーブ・ガッドが YD-9000R のディープ・グリーンのモデルを使っていて (注7) 、ヤマハはそれを前面的に打ち出した広告展開していたかと記憶してます。もしも仮にジェフが正規のエンドーサーであるならば、さしずめレコーディング・ブラックをイメージ・カラーとして全面的にプッシュしたことでしょうし、ましてやカタログに登場しないなどということはあり得ないでしょう。
これまた深・深〜読みになるわけですが、よっさんが推察するように(注8) 、ヤマハの本来の目的はTOTOのキーボード陣であり、ジェフには「お試し的に当社のドラムを使ってみて下さい」、みたいな軽いノリだったとか。はたまたヤマハ側がジェフをど〜うしても納得させることが出来なかったのか? と、まぁ幾らでも想像出来ちゃうわけですが。それでも少なくても『ターン・バック』のレコーディングでは大活躍したわけですから、ジェフの好みのサウンドを奏でることはできたんですよね。
それとラディックとの関係も腑に落ちません。少なくともアルバム『ハイドラ』をレコーディングしてた時点では、ジェフはラディックとはエンドース契約を結んでいたのは事実と思われます。しかし、ここではヤマハとラディックと並列的に扱われていますが...? それとも既にエンドース契約は解除されていたのか?
だいたいね〜 こんな事に未だにこだわってるのって世界広しと言えどもきっと私だけなんだろうな〜 これがパールとの契約みたいに真っ当なエンドーサーだったのなら、こんなに気になるということもないんでしょうが (笑) まぁ、いずれにしてもヤマハとジェフの関係は闇の中。ジェフの口から真実が語られることは金輪際無いわけで。後はヤマハの関係者から真実を語っていただくしかないですね〜 というわけで、もう時効ということで事情通の告白をお待ちしております。
私事ではございますが、1981年は必死にヤマハのカタログを追い続けました。が、とうとうジェフは登場してくれませんでしたね。その後はご存知のようにあぁいうことになってしまいました。今の私のヤマハへの執着心はこの時の執念の燃えカスのせいなのかしらん (笑) |
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(注6) ジェフがヤマハのカタログには "一度" も登場しなかったからです |
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もし、ジェフがヤマハのカタログに登場していたらなら... 想像ですが、きっとこんな感じになっていたのでは (爆) ヤマハもこんな風にカタログに掲載する気満々だったはずぅ〜 |
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(注7)スティーブ・ガッドがRのディープ・グリーンのモデルを使っていて |
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正直このグリーンのセットも滅茶苦茶かっこえかったわ。深みのある色合いに惹かれるところがありました。実物は見たことことはありませんが(爆) |
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(注8) よっさんが推察するように |
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《 ジェフが〜求めたものは? 》をご一読ください。 |
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