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何故、ヤマハなのか?
【妄想1】何故、ヤマハなのか?

 何はなくとも、ヤマハのプッシュじゃないでしょうか? 出来るだけ多くのミュージシャン (この時期は、特に海外) を獲得して、企業イメージをアップすることが売り上げに繋がる...。その為には、楽器の提供は勿論、金銭的な援助なども含めたエンドース契約に持ち込む事がヤマハの目標ではなかったかと仮定します。
 何しろヤマハは巨大産業会社、ドラムのみならずツアー丸ごと! 周辺機材一式をレンタルする事までも視野に入れて接触することも十分に可能でしょう! となると、ドラムをくれるくれないとか、小遣いを出す出さないの小さな話しではなく、機材を契約して使うことにより格安の機材レンタルを受けられ、更に楽器の提供まで受けられるのならば、正に一石二鳥? 三鳥? 四鳥?... ???
 バンドの中心メンバーだったジェフがツアー自体の採算やデビューして間がない事などを考慮しながら、勿論、良い楽器というのは言うに及ばずでしょうが、必然的に "使いたい&試してみたい" 楽器はさておきエンドース契約を結んだのではないでしょうか?

(注1) ハンゲイト氏ヤマハのBBを弾いてる!
(注2) マイクさんはイバニーズを使っていたような気が...。
(注3) ドラムはメーカー名こそ映りませんが、タム・ホルダーとラグからパールの様な感じです。
 そんな事を考えながら最近 "Goodbye Elenore" のプロモーション・ビデオを友人の "ギターを抱えた現場監督" さんと見ていると、
「あれ? ハンゲイト氏ヤマハのBBを弾いてる!(注1)」とボソリ...。
 私も今更ながら気が付きました! すると、何故か思い出した "Rosanna" のプロモ。そこでマイクさんはイバニーズを使っていたような気が...。(注2) 確認するとやはりパール・ホワイトかホワイトのイバニーズMC-924らしきものを使ってました。
 ちなみにこの "Rosanna" の時のドラムはメーカー名こそ映りませんが、タム・ホルダーとラグからパールの様な感じです(注3)。でも、この時点でマイクさんがイバニーズ使ってるのならば、"Rosanna"? いや『TOTO IV 〜 聖なる剣』の録音が終了した時点で、ドラムに関してもひょっとするとTAMAからも申し出があったのかも? まぁ、この辺りは "ヤマハの本題" から脱線しますので置いておきます。

 では、他の楽器は?と思い、もう一度 "Goodbye Elenore" のプロモを見てみると、ルークさんは、多分、後の赤いキルテッドメイプルのサンバーストや通称ロボットで知られているバリー・アーツじゃないかと思われます(注4)。'82年の来日時には、当時最新であったEMGのピックアップを搭載してリニューアルしていたのが、このストラトじゃないかと思われますが...?
 後はキーボードです。私の知識にはキーボードまでのキャパシティがないので詳しくは分かりませんが、1982年の来日時にはヤマハのGS-1 (確か、一台百万円前後だったように記憶してますが "?"です) をペイチ&スティーブ共、メインのキーボードに据えていましたよね? でも、シンセ系はペイチがローランドのジュピター4 (4音ポリフォニック) を使っていたのは記憶してますが、スティーブさんの使用機材までは覚えてません。

 ところで、私は最近 (このテキストを執筆しだして) になって、管理人さんから、"1980年来日の折りにジェフはヤマハの工場か会社を訪ねてますよ" と聞きました。それはエンドース契約をしに行ったのではなく、カスタム・モデルを作って欲しいと相談に行ったみたいです。勿論、お金を払うつもりで...。ですが、2日後に多分カスタム・モデルではなく現行品をヤマハから4セット・プレゼント (ジェフが工場に行ったのなら、そこでチョイスしてるんじゃないでしょうか?) されたみたいです"。

 しかぁ〜し! ここで、あくまでも聞いた話しなんですが、ヤマハはミュージシャンなどが訪ねてきた場合の為に、出来上がったドラムに限らずギターやベース等、出来の良い商品はピックアップして、常にドラムならば100セット前後は、別口で確保していたと聞きました。特に、エンドースを目的に来たミュージシャンならば、やはり現行のフラッグシップを薦めるでしょう! その様な高額機種は、普段から厳選した素材での楽器造りをしている上に、上記のように多数の中から選ぶとなると、厳選の中から厳選する形でかなり質の良い楽器を手にする事は可能ではないでしょうか。となると、
 「まぁまぁ、ジェフさん我社のドラムは何もしなくても素晴らしいですから、出来れば、このままでお使いいただけませんか?」、なんて言われたのか? でも、この時、私はもっと重要な申し出がカスタム・モデルに含まれていた様に考えてしまいました、それは "ラック" です! ヤマハ側も、
「ラックについては検討してみますので、取り合えずは我社のドラムを!」と言って4セットを置いて帰り、その後、ラックの検討をしてみたが、開発・販売 (記憶では、当時開発に例えミュージシャンが関与していても、特に○○モデルの様な命名はなく、例外的にパールはピーター・クリス名を冠したスネアーを販売してましたが、殆どはレギュラー品で発表していたのではないでしょうか?) しても採算の見込みが立たないとでも判断したのでしょうか?
 だからといって、見るからに特注品の "ラック" を作って使用させることをヤマハが嫌ったのか?、はたまたヤマハの会社としてのプライドが許さなかったのか? ジェフには "ラック" は無理と結論を伝えた事で、"それでは話が違う!" と激昂したかどうかわかりませんが、あえなくヤマハを離れてしまったのかもしれませんね...?
 それと、この事は後で妄想する "何故、パールなのか?" でも考えてみますが、契約後の制約があまりにも多く、世界中のドラムや打楽器は全て試し&使ってみたい (かも、しれない?) ジェフにとって、どうしても耐えられない一つであったのかもしれません。ここ最近ではテリー・デボジオもセイビアンと揉めていましたね。

 ここで、このテキストの仕上げ最終段階中に管理人さんからのメールが届きました!内容は、
「以前、ジェフが来日時にヤマハのセットを貰った件をお知らせしましたが、すっかり1980年の来日時のことと思い込んでいましたが、あの話しは、もしかしたら2度目の1982年に来日した時のことかもしれません。
 ソースは1983年2月号の米モダンドラマー誌掲載のインタビューなのですが、このインタビュー自体はドラム・マガジン誌やドラムブラザー(P.30)にも掲載されてます。
 ジェフは、インタビュー中にパールとエンドース契約したことについて語っていますが、米国版では、その前の部分でヤマハとの件を話してます。ドラム・マガジン誌では編集の都合上でカットされたのでしょうか? その文章の流れからは去年(1982年に当たる?) 日本に行った時のこととして話してます。ただそれってあり得ますか? パールと契約したばかりなのに、ヤマハにカスタムモデルを頼むなんて? ジェフの言い間違い? それとも記憶違いなのか? どう思いますか?」。

 うんん〜〜〜ん、大変困りましたね...、この展開...(大汗)
 事実と言えば事実でしょうし、
 単に思い違いということもあるだろうし...、
 真相はもはや明かすことができませんので...。

 ですが、私は管理人さんのメールの中で気になる事があるのです!
「〜 インタビュー中にパールとエンドース契約したことをについて語っていますが、米国版では、その前の部分でヤマハとの件を話してます〜」。
 この部分です。ここ近年、社会的にも "報道" に関しては色々と物議をかもし出していますよね? 要は、悪い言い方をすれば操作しようと思えばどうにでも出来るんですよね、しかも活字となると話し手のニュアンスが伝わらないですしね...。
 単に1行削除するだけでも、上記のインタビューの様に全く問題の無い内容(1982年にパールとエンドース契約をした事のみ)になっていますよね? それと、以前FMさんもJWの掲示板に書き込みされてましたが、インタビューの折りロジャー・テイラーだったかなぁ? どう思いますかと聞かれ、あからさまに嫌な顔してましたよなんて言ってたでしょ?
 そんなエピソードは、私達が思う? 望む? 一般的なジェフ像(特定のものを批判?)に合わないので、出版社側の判断で勝手に割愛されたりすることが多数あるのではないかなぁ〜?

(注1) ハンゲイト氏ヤマハのBBを弾いてる!
 この時既にヤマハの手に落ちてしまったデヴィッド・ハンゲイト。
(注2) マイクさんはイバニーズを使っていたような気が...。
 "Rosanna"のプロモでマイクはイバニーズMC-924を使用。
(注3) ドラムはメーカー名こそ映りませんが、タム・ホルダーとラグからパールの様な感じです。
 このドラムセットもいろいろな謎を提起してくれます...その話しはまた別の機会に!
(注4) バリー・アーツじゃないかと思われます
 分解お掃除中のバリーアーツ製ギター。後にリペイントされあのロボットとなる。当時はブギー製なんて言われ方をしてましたよね。
(注5) パリス・ライブの特典映像
 本来のジェフは、パリス・ライブの特典映像(注5)に見られる様に、私達が思う只単に人が良いだけではなくて、もっと厳しくシビアな一面を持ちながらも、自分の意見をハッキリ発言する、指導者的な一面も大きい人ではなかったかと私は思います。
 そんなわけですから、特に1980年代の会社のイメージを担うエンドーサーとしてのミュージシャン達となると、日本のメーカーが望むドラマー像を勝手に創造し、本来の姿を考えず思い通りの型に当てはめたんじゃないですかね? その代償?として、楽器の提供や開発、契約金を受け取っていたんでは???

 それと報道に関して、当時のヤマハとパールの攻防の形跡かと思われる写真に目が留まりました! 以前はヤマハを使っていたのに、ブレイクした瞬間を他社のパールに持っていかれるなんて、ヤマハ最大の屈辱では? そんなメーカー間の攻防をドラム・マガジン誌の創刊号に感じるんですよ...。
 たまたま、古いミュージック・ライフ誌を散策中に、ある写真からフラッシュバックし、ラック前部に貼るパールのシールをジェフが欲したエピソードを思い出しました。詳しくは、またの機会にするとして、何故今まで気付かなかったのか不思議だったんですよね。そんな不審感を持ちながら、"ふっ"と、今回の資料として重ね上げていた、懐かしくも印象的なドラム・マガジン誌創刊号。その表紙のジェフの写真なのですが、たまたま構成の関係上か、はたまた意図的だったのかは分かりませんが...、

(注5) パリス・ライブの特典映像
 ビデオ・テープで販売されていた "Past To Present" に特典映像を追加して発売されたライブ・ビデオ『Greatest Hits Live And More』。

 特典映像として収録されたインタビューでジェフにしては珍しく辛口な受け答えをしています。

 
(注6) パールのシール貼っている所が塗り潰されて文字が書かれている...?
"あれ? パールのシール貼っている所が塗り潰されて文字が書かれている...?"(注6) と思ったんですね...。
国内初となるドラム専門誌! その創刊号の表紙となると凄く重要な筈!
 それは、私が思うにニュー・アルバムを引っ提げて二度目の来日果たし、その後は全米でもアルバム・セールスが好調と巷に話題を振撒く今や(当時)時のバンドTOTO、それら旬の話題性により創刊号の表紙の絵はジェフに決まったんじゃないかと?

 でも、納まりがつかないのは、ガッドやコージーを有するヤマハですよね! 取り敢えず、出来るだけ露出(特にメーカー名)を抑えるという条件で出版社のリットーミュージックと折り合いをつけたのでは?
 結果、見た目はジェフとラックの強烈なイメージとなり、ドラム本体は "パール使ってま〜す!" な仕上がりで無いように思いませんか?
 余談ですが、その後のドラマガの表紙を見ると、ヤマハが多い様に思いませんか? そんなこんなで、表紙と見開きページと裏見開きページと裏表紙をまとめてみたら面白いかも? いや〜、謎は深まる...???

 さあ、インタビューの件はどうなんでしょう??? ジェフの思い違いなのか、はたまた事実だったのか...。どちらにでも取れますよね。実際、1982年の来日時には、未だヤマハとパールの戦いは続いていて、ヤマハとの接触もあり、ドラム本体を貰っていても不思議ではない様に思えるのですが。
 見解はこのテキストを読んでいただいてる方々皆さん自身で考えていただけますか...。ですが、1つJeff's World上での見解としてこんな風にシュミレートしてみました。
(1) 1980年の来日の際、もしくはその前後にヤマハとジェフ(TOTO)の接触があった。
 それにより、ジェフとヤマハで何らかの契約事項が発生し、ドラム、ベース、キーボードはヤマハの製品中心的にを使うことにした。

 ジェフはセッション等でヤマハのドラムを積極的に使い、結果アルバム『ターン・バック』のクレジット上に使用楽器としてヤマハを明記した。

(2) 契約上、『TOTO IV 〜 聖なる剣』ではヤマハでプレイしたことにしたかった。
 ジャケット写真で使われているドラム・セットはヤマハになっている。が、クレジットではあえてメーカー名を伏せている(Jeff Porcaro's equipment speaks for itself)。

 実際にヤマハも数曲で使用しているのかもしれませんが、メインはグレッチ・ラディックの複合セットなのかな?

(3) 『TOTO IV 〜 聖なる剣』のレコーディング終了前後にパールと契約完了。
 しかしながら、1982年来日時にはヤマハからもセットの供与を受けている。

 どうですか?

 さてさて、ドロドロとした報道関係云々はこれくらいにしておいて、ならばヤマハのドラムには魅力がなかったのかと疑問をお持ちでしょう! いやいや、後々ジェフが再三のようにパールに要望したものが、既にこの時期のヤマハ "YD‐9000R & 9000" には標準装備されていました。それは...、

ハイ・テンション・ラグです!

 ジェフが、いつの頃かは分かりませんが、ハイ・テンション・ラグの装着を事あるごとにパールに要望していたということです。ジェフが、ヤマハを使って気に入った点を想像するに、冒頭でRED氏も言っていたように、ヤマハの揺れる (?) タム・ホルダーにハイ・テンション・ラグの組み合わせではないかと思うんですね。後に、RIMSを使用した経緯からも、シェルにストレスを掛けず、ヘッドにはしっかりテンションを持たせ、ストレートなドラム・サウンドを追究していたジェフにとって、当時はこの組み合わせが最もイメージに近い形ではなかったかと思われます。どうでしょうか...? しかし、この様に小さな部品と言っては失礼でしょうが、この様な所にまで拘り、自分の目指すサウンドを追究するジェフは凄いですね。

 さて、ここでついでにハイ・テンション・ラグにまつわる、私の忘れられないTOTOに関するエピソードがありますので紹介させて下さい。あれは、『アイソレーション』ツアーだった?、あれ? 『ファーレンハイト』ツアーだったでしょうか? 確か右端に横向き (パリス・ライブの様に) にドラムがセッティングしてあって、私はそのアングルから "TILL THE END" と、久々に "WHITE SISTER" 聴けた喜びをジョセフに覚えた気がするので『ファーレンハイト』ツアーでしょう(注7)

(注7) 『ファーレンハイト』ツアーでしょう
 ちなみに、この時に私のシートは、
アイソレーション・ツアーは、
1985年3月2日、
大阪城ホール 2階 B-32
ファーレンハイト・ツアーは、
1986年11月6日、
大阪城ホール 34列52
 ...でした。 by よっさん
 コンサート当日、生TOTOを楽しむために会場入りしたところ、いち早く私の目に飛込んで来た横向きのドラム・セット。うぉ〜! 横向き、ジェフの手元が見えるのでは! と期待に胸膨らませ、お決まりのラックに黒いドラム! そして、ハイ・テンション・ラグ! えっ? ハイ・テンション・ラグ! 遂にパールもハイ・テンション・ラグになったんだぁ〜。と、思いながらも半信半疑で会場の前方に、ドラム・セットを確認すべく歩いて行きました。

(注8) YAMAHAの文字が...
 確かにそれはハイ・テンション・ラグには違いないけれど、どう見てもラックに指し込んであるシンバル・ホルダーがヤマハに見えるんですね、で、ドラムが横向きでバス・ドラムのフロント・ヘッドが見えないので、確認するために少し左に移動してビックリ! 何とバス・ドラムのフロント・ヘッドには、しっかりと"YAMAHA"の文字が...(注8)。なんか騙された様な気分でライブを見て、次の日、早速パールの担当者 (当時、まだ楽器店勤務でした) に電話をすると.....。

「ジェフ、ヤマハ使ってたよ! (半怒)」
すると、
「どうやら、今回はヤマハとステージ契約を結んでいて、機材類全てを一式レンタルしているみたいなんですよ... (冷汗風) 、とにかくヤマハがキーボード、並びにデシタル機器に力を入れているので、どうしようもなかったみたい...」。

 余談ですが、パールのハイ・テンション・ラグ装着は1988年のZRX (Zenithal Resonator Series)の 発表まで待たねばなりません。でも、一度ぐらいステージでヤマハ使うのは許してあげる? 優しいパールさんでしょっ? この "心の広いパールさん" も後で (何故、パールなのか?) で少し触れますので、これぐらいにしておきます。

ハイ・テンション・ラグ、その2 (ジェフには関係ない話)

 では、ヤマハ以前にハイ・テンション・ラグは無かったのか? と、深胴に続き、またまたRED氏に聞いたところ、
「パレード・ドラムの世界では、1970年代からラディックなんかでハイ・テンション・ラグが使われてます。深胴スネアに関してのみですけどね。ドラム・セットのタムにハイ・テンション・ラグ使った最初のメーカーは、プレミアーです。驚いて下さい、なんとプレミアーは1950年代からハイ・テンション・ラグです。フーのキース・ムーンもハイ・テンション・ラグ使いでしたね。
 話しはそれますが、プレミアーといえば、10" の両面ヘッド・タムはスティーブ・ガッドのリクエストでヤマハが作ったとされてますが、それは間違いで、10" 両面ヘッド・タムは1950年代に既にプレミアーが出しています! 恐るべしプレミアー」。
 いつもながら頼りになるお方です...。

ヤマハのオマケ 1

(注8) "YAMAHA"の文字が...
 ジェフのご乱心? 突然YAMAHAのセットで登場! つ〜か、管理人は "Fahrenheit Tour" を見に行ってませんが orz
(注9) バス・ドラムのフロント・ヘッドに、"ジェフ・ポーカーロ" とカタカナで書かれているのを目撃した事あります?
 皆さんは、ジェフが黒いヤマハのドラムを使っている時、バス・ドラムのフロント・ヘッドに、"ジェフ・ポーカーロ" とカタカナで書かれているのを目撃した事あります?(注9) 『聖なる剣』の裏ジャケとか...? あれって、当時、ヤマハの購入キャンペーンの販促物じゃなかったですか? ヘッド以外にも、シールとか? 何点かあったような...? というのも、当時、熱狂的コージー・ファンの私は、既にヤマハのドラムを購入していたのですが、どうにかしてくれないかと、コージーのヘッドを懇願したのですが、どうにもならず、あまりの懇願具合に、お情けでコージー・シールをもらったんですよ。誰か覚えてらっしゃいませんか? 流石のRED氏も記憶にないとの事。ならば、私の記憶違いだったのかなぁ〜? でも、コージー・シールは今も手元にあるんですよ...。他にもガッドのとか.....。何人かのヤマハを使っていたドラマー達の中に混じって、ジェフのヘッドもプレゼントの中に...? 誰か教えて!
 と長年悩んでいたこのヤマハのドラム・ヘッド・キャンペーンの謎が解けました。昔からのドラマー仲間でもあり、楽器店の店員 (お店は違いましたが、どちらかと言うとヤマハ系) でもあるH氏と偶々会ったので、
「これこれこんなキャンペーン知りません?」と聞いたところ、
「それは多分、その頃にはまだ無かった、バスドラのフロント・ヘッド (ブラック) にホールカットをし、適当に使えそうなアルファベット・シールが添付してあり、オリジナル・ヘッド作りましょう! みたいな感じだっと思うよ!」です。お騒がせしました (^^;

 その時H氏に
「実は、今、ジェフが何故ヤマハからパールに換わったのかエンドース契約の辺りを絡めてテキストを作ってるんですよ!」と話すとH氏が、
「そう言えば、いつ頃だったかな? '90年前後かなぁ〜? ジェフか、ガッド? ジェフだったような気がするんだけど、ソナーのドラムを前にドラム・マガジンの楽器店広告のページに写真載っていたことあったよ! 探してみたら?
 とにかく、当時はパールも行け行けドンドンの頃だったので、ジェフも今までの貢献も含め、契約金の値上げを迫っていたようですよ。実際、ソナーを使う気なんてなかった様だけど、ポーズとしてどこのドラムでも使うよってのをアピールしたみたい」。
 こんなところにもエンドースに関わる証言が? と思い、裏づけ? 新証言に向けて、2〜3日かけて創刊号から1992年ジェフが亡くなる年までのドラム・マガジンを調べましたが、残念ながら(?)その様な類の広告ページはありませんでした。が、しかし、火の無いところに煙は立たずと言いますので、やはり1990年前後に、ジェフとパールはエンドース契約でゴタゴタと揉めていたのではなかったかと思われます。
 もしも、上記広告を見つけた方ありましたらご一報ください!

 これまた、オマケですが、このH氏との会話中に、エンドースそのものに関する、お恥ずかしながら今まで私が知らなかった情報を得ました! それは、海外のミュージシャンは個別 (ドラムキット本体、フットペダル、シンバル、スティック、ヘッド、スタンド類等) にエンドース契約を結ぶのが当たり前とのことです。日本国内では、ヤマハのドラムにはヤマハのペダル、スタンド。パール然り、TAMA然り...。ヤマハを使っていればシンバルはジルジャン! パールならばセイビアン!みたいに。
 でも、海外のミュージシャン達は、

ドラム本体は○○!
やはりペダルは○○!
憧れのシンバルは○○!
ヘッドの好みは○○!...。

(注10) P.30の中央下の写真
 このことから推察するに、海外ミュージシャンに対しては、割りとパールはこの辺りの選択肢 (本体使用していれば、まぁまぁ細かいところは目をつぶりましょうみたいな) に関しては、この後も触れますが "心の広いパールさん" ドラマー寄りで理解があったのではなかったのでしょうか?
 が、ヤマハはとにかく使用楽器全部ヤマハを使って欲しいと言っていたのかも? しかし、このエンドースに関しては、たった一枚の写真から中々難解な時がありますよね!

 つい最近では、2005年5月号のドラム・マガジン誌でのジェフ特集号の写真。今までに無い、未公開の写真の数々! 胸をときめかせながら見ていると、何とも不可解なものが数点ありました。
 例えば、P.30の中央下の写真(注10)。あの白地に赤のパールTシャツ、旧式ラック、バス・ドラムのターン・バック・ロゴのフロント・ヘッド、明らかに、'82年の『聖なる剣ツアー』でのワン・ショットみたいですが、何故か、ドラムの色がワインレッドではなくブラックみたい? しかも、'82年来日時にはRIMS装着(すみません、『運命の出会い』はRIMS装着と書いてますが、ドラム・マガジン創刊号の表紙を見るとその時点では、まだRIMS装着にはなってませんでした! 私の勘違いでした、お詫びと訂正をさせていただきます)してなかったのに、どうもR.I.M.S.を装着している様に見えます。それに、シンバルが'82年来日時は、パイステとジルジャンの混合で、確か、どちらも古いタイプで黒字ロゴだったような?
 チャイナはパイステ602、ハイハットはルードだったのは間違いないと思います。それが、全て赤字のパイステ2002!

(注11) P.35頁の右上の沼澤氏撮影のショット
 それと、P.35頁の右上の沼澤氏撮影のショット(注12)。前後してしまってますが、下記の "おまけ2" で書いている様に、私的なステージというか、口外されない筈のステージだったからかも?
 当時、パイステとエンドースしている筈がセイビアンを! 当時発売直後だったセイビアンを試しに使ったのかも?
 ドラムはパールですが、上記P.30頁の写真と同じようにRIMS装着ですがラディックのタムホルダー。でも、何故か当時パールには無かった筈です、ひょっとするとヤマハの名残か?
 バス・ドラムのスタビライザーが装着されていますし、1本だけ写ってるシンバルスタンドが、どう見ても私にはヤマハに見えるのですが...? 少々、寄り道し過ぎて長くなりました。

ヤマハのおまけ 2

 これは、ジェフには関係ありませんが、エンドース契約に関する雑談です...。あれは、渡辺貞夫のバックにスティーブ・ガッドが同行していた時の話なのですが、私は、近くにガッドがライブに来るからということで観に行きました。折りしも、ヤマハがタムのスクエアー・サイズ (等インチ) を発売した直後だったと思いますが、雑誌やカタログにはスクエアー・サイズのドラム・セットをバックに写真に納まるガッド (& 樋口宗孝氏) が氾濫! ライブにも、当然その新発売のドラム・セットで来るだろうから、是非、新製品の音を確かめる為にもと思い会場へ。すると、何故か以前の通りのレギュラー・サイズのドラム・セットが! おまけに、スネアーは浅胴のラディック! 凄く拍子抜けしてしまった私、結局、レギュラー・サイズの方が音も良いし、セッティングに無理がないのかなぁ〜?と思いました。関係ありませんが、パールの担当者に "ガッドはこうだったんだよ!" と教えてあげると、
「割と、地方公演なんかで写真に写る事も無いようなら、自分の好きな楽器使うみたいよ...」とのコメントでした。♪チャンチャン♪

 さて、話しを本題に戻しますが、次に、安心を強調するために友人・知人などからもアプローチもしたかも? となると、前記のエンドース契約のドラマー達を見渡すと.....分かりますか? 分かりますよね! ジェフ・ファンであれば!

そう! 1980年ヤマハの筆頭 (1978、79年は2番手!) にはジム・ケルトナー(注12)の名前が!
(注12) ジム・ケルトナー
 カタログ中での紹介文には「西海岸を代表するセッションドラマー、ジム・ケルトナー。ロック、ポップス、ソウル、フュージョンと、あらゆる音楽をこなす一方で、アティテュードの中心メンバーであることは有名な話。永い間YD-9000を愛用していたがYD-9000Rの登場と同時にソリッド・ブラックのモデルを特註。しかもラグだけひと昔前のヤマハ・ラグに変えて欲しいとのオーダー。「シンプルなところが気に入っている」とのことだがスタッフ一同、首をひねること、しきり"。

 エッ? まさか、ジェフがソリッド・ブラックを選んだのもケルトナーからの影響? 他に、ヤマハのエンドーサーにはスティーブ・ガッドなど'80年以前に、お互いスタジオで凌ぎを削った面々が多数いたのではないかと思われます。でも、何と言っても尊敬し敬愛するジム・ケルトナーの存在と信頼が大きかったのではないかと思いたい。

 それと、エンドースの契約に関して想像するに、現段階では、やはり会社の規模からヤマハの契約金が良かったのではないでしょうか? 楽器に限らず色んな業種を抱える大手のヤマハ! TAMAはドラムと弦楽器、パールに至ってはドラム専門メーカー、どう考えても金額的なものは、"一本!それまで!" で、ヤマハの一本勝ちなのかなぁ〜? でも、ここ (大会社) がいづれ "弁慶の泣き所" になったのではないかと、あなたの心をくすぐりながらも私の妄想話は、更に膨らむのであった (爆笑)

 おっと! 幸運にも1981年1月のミュージック・ライフ誌が我が家の本棚から発掘され、当時の使用機材が掲載されていますので、参考までに紹介いたします。が、中には???のところもあります、まっ、参考までにと言う事で。

ジェフ・ポーカロ
●ラディック・ドラム・キット
バスドラム×1
フロアー・タム×3
タムタム×3
スネアー×1
シンバル×9
ハイハット×1

デビッド・ペイチ
●スタインウェイ・グランドピアノ
●ハモンド・オルガン
●ヤマハCS−80シンセサイザー
●ローランド・ジュピター4シンセサイザー
●TOTAR
● MXRデシタル・ディレイマシン

スティーブ・ルカサー
●ギブソン・サンバースト・レスポール59
●ギブソン・ゴールド・トップレスポール58
●フェンダー・ストラトキャスター61
●シェクター・ストラトキャスター (カスタム) ×2
●シェクター・テリー
●マーシャル・ユニット22×2
●イーヴン・タイド・ハーモナイザー
●レキシコン・デジタル・ディレイ etc

スティーブ・ポーカロ
●ポリフュージョンDAMIUSシンセサイザー×2
●ヤマハCP−80エレクトリックピアノ
●ヤマハCS−80ポリフォニック・シンセサイザー
●プロジェット5ポリフォニック・シンセサイザー
●ミニ・ムーグ・シンセサイザー
●ローランド・ジュピター4シンセサイザー
●ローランド・マイクロ・コンポーザーMC−8
●オーバーハイム・デジタル・シークエンサー
●ローランド・スペースエコー
●キーボード・ミキサー
●オーバーハイム・シンセサイザー

デヴィッド・ハンゲイト
●フェンダー・プレシジョンベース×2
●マーシャル・アンプ×1
●アンペッグ・アンプ×2
●ボス・コーラス・アンサンブル
●MXRフェイズ90
●MXRフェイズ100
●ミュートロン?L
●ミュートロン・オクターブ・ディバイザー
●MXRダイナコンプ
●MXRディストーション
●MXRフランジャー
●MXR10バンド・イコライザー

ボビー・キンボール
●ウーリッツァEP−100エレクトリック・ピアノ
●ローランド・ボコーダー
●シュアーSM58マイクロフォン


 内容は具体的な機種の説明の無いものあり若干 "眉唾" ものですが、なかなか興味深いですよね。当時、最先端の楽器もあれば定番の楽器もあり、外国製もあれば日本製もあり、彼ら自身が、自分達が必要とする音をクリエイトする為に、使いたい物を使っている感じですよね。まだ、日本の楽器メーカーの魔の手が手付かずって感じですか (苦笑)
 丁度この前後でしょうか、機材一式を一手に引き受けしようとしたかもしれないヤマハですが、バンドでは一番目立つフロントマン、ルークさんの牙城 (スティーブ・ルカサーは、ギター・エフェクターとも、途中イバニーズなども使用しましたがカスタムショップ物を一貫して使ってますよね? エフェクターもデビュー当時と1990年代後半にもお世話になるポール・リベラと、最近の来日にも同行していたボブ・ブラッドショウにお世話になっていたんじゃないかと、友達のギターリストtomeさんから聞きました) だけは、何一つ崩せなかったようですね。

 後は、TOTOサウンドに欠かせないキーボード群、これから先、MIDIやデジタルの急激な進化と共に、熾烈なヤマハとローランドの戦いの火蓋が切って落とされるのであったかな? この戦いは、上記ステージ契約時にはドラムにまで飛び火したことはお分かりですよね。しかし、この時ですら表向きはヤマハのキーボード (マスターキーボードKX?) でしたが、必要なサウンドは裏でローランドのMC-8を使っていたりで (キーボード・マガジンではしっかり写真入で紹介されてました)、メーカーもエンドースしていても全く安心出来ない状況は、ずっと変わらなかったように思います。

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