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このソニー&シェールとの仕事の集大成ともいえるのが1973年7月〜8月にかけて行われたラスベガスのサハラ・ホテルで行われたライブ・ショーだと思われます。二ヶ月近く行われたこのショーは後に『Sonny & Cher - Live In Las Vegas Vol.2』 (注3) というアルバムとしてリリースされることになります。この時のツアーのメンバーは Jeff Porcaro; Drums、David Paich: Lead Conductor, Piano, Organ、David Hungate: Bass、Dan Ferguson: Guitar、Dean Parks: Gutiar、Jack Eglash: Orchestra という豪華な布陣でした。ここで注目すべきは何と言ってもデビッド・ペイチの存在ではないでしょか。このライブ・アルバムに先立ってリリースされたと思われる 『Sonny & Cher - Mama Was A Rock And Roll Singer Papa Used To Write All Her Songs』 (注4) で既にデビッド・ペイチもレコーディングに参加しています! ジェフの口利きでバンドに引き込んだのでしょうが。こうしていつの間にかデヴィッド・ペイチと再び行動を共にしているわけです。このラスベガスでのショーに関してはペイチ自身がInsideMusiCastでのインタビューで面白いエピソードを披露してますので参照してみて下さい。
この頃のペイチはハイスクール卒業後、南カリフォルニア大学に進学していたわけですが、それも2年生頃には "きちんと中退" することになります。故にこの時点でもうドロップ・アウトした状態だろうと想像してたんですが、先のインタビューではちゃんと大学に通いながら、"ラスベガスにも通った" と話してますね。但し、恐ろしい状態だったみたいですが (笑)。
とにかく1973年の時点で将来TOTOの中核をなすことになるこの3人が同じステージでプレイをし、レコーディングをも行っていたことに注目しましょう。
仕事の方も順調となったジェフは私生活においては自宅を出て独立した生活を始めるよになりました。ここでまたまたジョーのコメントを。
「僕はジェフにこう言おうと思ったんだ。 "お前は仕事を持っているんだからある程度の年齢に達したらちゃんと部屋代、食事代を払うべきだと思うんだ" って。いつまでも親が養ってくれるわけではないことを示そうとしたんだ。"お前は今仕事をして収入があるんだから、毎週お母さんにいくらか渡すべきじゃないかな、食事代とか" って言ったんだよ。ジェフは "うん、わかった" と言ったけど、すぐに彼は引っ越すことにしてしまったんだ。そして彼はアパートを見つけたよ。
でも、それは僕に言われたからではなく、その頃すでに独立する準備ができていたんだと思う。彼にはプライバシーが必要だった。彼女もできていたしね。僕がこの話をした時に "今こそ独立にいい時だ" と思ったんだろうね。そして一人で生活を始めたんだ。ただ親としてはちょっと心配だったね。その頃には20歳にはなっていたかもしれないけどね。そこで可愛い犬を飼い、彼女と一緒に住んだりしたよ」 。
こうしてジェフにとってはセッションの仕事が猛烈な勢いで舞い込むようになり、更に自宅を出て新しい生活を始めたりと、まさに一日一日が重要な毎日であったのではないでしょうか。しかしもっと大きな出来事が直ぐに彼を待ち受けているのでした。
ソニー・ボノについて一言付け加えておくと、彼自身は1960年代はあのウォール・サウンドのフィル・スペクターのレコーディングにおいてコーラス等をこなしていたそうですから、元々は歌唱力があったわけですね。コメディーショーをやっていたので単純にコメディアンかと思っておりました。そして前述の『ソニー&シェール コメディー・ショー』はソニーとシェールが離婚することになる1974年まで放送を続けられました。その後残念なことにソニー・ボノは1998年1月5日、スキー事故で亡くなりました。享年62歳。一方のシェールは皆さんのご承知の通り今も大活躍しています。
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(注3) Sonny & Cher - Live In Las Vegas Vol.2 |
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(注4) Sonny & Cher - Mama was a Rock And Roll Singer Papa used to write all her songs |
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