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Goodbye Elenore
 スティーブ・ルカサー談(月刊プレイヤー誌より)
「僕たちはビデオ・プロジェクトを仕上げたところなんだ。まだ2曲だけなんだけどね。"Goodbye Elenore" と "Live For Today" をプレイしたんだ。白いライトの中で、互いに顔を見合わせながら円になって演奏したんだ。ツアーを舞台にしたライヴ・パーフォーマンスみたいなもので、ミニ・ツアーみたいな感じ。できたらそのうち残りの曲もやるつもりなんだけどね。ビデオにLP丸ごとのライブ・パーフォーマンスを収めるつもりなんだ」。

 お馴染みのこの映像は現在(2006年8月)、公式には『Greatest Hits Live ...And More』(注1)でその一部をかいま見ることが出来ます。それは1分40秒という僅かなものですが、圧倒的なパフォーマンスにど肝を抜かさた方も多いことと思います。おまけにタンバリンを叩く幽霊や、見事に下っ腹の突き出た3人衆をも見ることが出来ちゃいますし (^^; この映像を目にしたならば是非ともその全貌を見たいと誰もが思うわけですが、残念ながらソニーさんにはその気が全くないようなので、私たちは完全にお手上げ状態なわけです。

 しかぁ〜し!JWはそんなことでは諦めません。ジェフ追っかけ歴苦節数十年。断片的な映像と情報を繋ぎ合わせてこのビデオの全体像を炙りだしてみやした。コラム『ドラム素人はこう見る。そりゃスティックも投げるわな』 なんていうものにまとめましたので、参照してみて下さい。但し中身は私のお馴染みのミーハー節で〜す。
 こちらから参照できます ==>




(注1) 『Greatest Hits Live And More』
 結局このビデオ・ライブも見ることが出来きたのは先の2曲のみでした。ちなみに1982年来日公演時のツアー・パンフレットにはこのビデオの撮影時のアウトテイク・フォトが多数掲載されているのですが(注2)、中にはボビー・キンボールがピアノを弾いているものやスティーブ・ルカサーがレスポールを抱えているものもあるので、もしかしたら別の曲も撮影だけはされていた可能性はあるかもしれませんね(ないかぁ)。そして仮にアルバムのセールスがもっと伸びていたのなら、当初の目標通りに全曲の撮影が行われていたのかも。そう思うと残念です。

 この年の8月近くになると日本のTOTOファンにはビッグ・ニュースが飛び込んで来ました。それは今も毎年夏になると日本テレビ系列で放送されている『愛は地球を救う〜24時間テレビ』にTOTOがロサンゼルスから生中継で出演するというものでした。私の記憶からは、どのような経緯でこの話がまことしやかに流れ出て来たのかが、すっぽりと抜け落ちているのですが、とにかく私はその話しを藁にも縋る思いで信じ・楽しみにしていました。ただ...ご存知のようにその話しは真夏の夜の夢となって散ってしまいました。

 あの日、実際にステージに上がったのはTOTOではなくブラザース・ジョンソンだったということです(しかも、マイム演奏だったかもしれません)。当時の噂では、当日はロサンゼルス空港で大々的なストライキがあり、メンバーがロサンゼルスに集まることが出来なくなり、やむを得ずブラザース・ジョンソンが代役を務めたということでした。
 実際アメリカの空港、航空会社では頻繁にストライキがあるらしい! 私もロサンゼルス空港では何回かこのトラブルに巻き込まれたことがあります。あれは最悪の体験ですよね。空港に着くと、いきなり自分が乗る予定の便が欠航になってしまってるんですから (^^;
 すいません、話しが横に逸れてしまいましたが、これって本当の所はどうだったんでしょうね? そもそもTOTOが出演する予定はあったんでしょうか? 少なくともTOTOと同じ事務所に所属していたブラザース・ジョンソンが出演したことなどを考えると、その辺り迄は話しが具体的にあったということなんでしょうか? それともそんな話しなど全然無かったのか? 未だにこの件は私にとっては大きな謎です。その辺りの経緯をご存じの方がおりましたら情報をお寄せ下さいませ。

(注2) 1982年来日公演時のツアー・パンフレットにはこのビデオの撮影時のアウトテイク・フォトが多数掲載されているのですが
 愛は地球を救う 〜 24時間テレビ事件について、いむやむ様より情報をいただきましたので、追記しておきます。
 『HistoricalView』を拝見しましてご連絡です。実は先日実家から1981年当時の日記というのが発掘されまして(汗) ちょうど受験期だったものですから、学校や受験関係以外についてはこれがもうTOTOとJeffのコトしか書いていないというものでして。思えば、1980,1981年あたりが私のJeff熱の絶頂期だったのかもしれません。

 で、「24時間テレビ」のくだりですが、私の日記によりますと、7月26日に出演が決まったことが書いてありまして、出演がキャンセルになったことについては、こんなふうに書かれています。

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 8月25日(火) 注:日記とはいえ毎日は書かれていません(^^;
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24時間テレビに出るハズだったTOTOはLAに帰ってこられなくなってボツ!
あーあ、米国管制官ストめ!!
こんなところであおりがくるとは思わなんだ!
でもTOTOのかわりに出たDEVOだってフィルムだったんだから
何とかなったんじゃあるまいか?
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 というわけで、ブラザーズ・ジョンソンのことについては一切触れられていないのはなぜかわかりません(笑) 実はこの日記を読むまで24時間テレビのことは私の記憶からスッポリ抜け落ちてました。

 それと、『ターン・バック』のPVですが、日記によると、4月18日(土) 深夜?に"Goodbye Elenore" と "Live For Today" の完全版(?)がTV放送されています。当時はビデオなどありませんでしたからもちろん録画はしていませんが。記憶では曲間に収録の合間に撮ったと思われるメンバー紹介を兼ねたような映像が挟み込まれていました。

 あの映像の完全版が現存しているのであれば是非とも見たいものです・・・
 いむやむ様、情報をいただきまして、ありがとうございます。さぁ〜て、これで "24時間テレビ" の件については私の夢ではなかったということが証明されたわけですね(笑) あ〜、これが本当に実現していたのなら凄いことになってたんだろなぁ。いや本当に残念でならないですね。それとピンチヒッター役がDEVOというのが...当時の日記にそのように書かれているのならDEVOというのは間違いないと思います。私が夢見たブラザース・ジョンソンは思い違いだったのかな〜
 PVの件も私にとっては衝撃の新事実! あれ程熱望していたというのに、それを見逃していたなんて(泣) これらの情報は引き続き調査したいと思いますので、お気づきの点がございましたら、JW宛にお寄せください。

【 コラム 1981年、四方山話 ワールド・ツアー & 謎のライブ音源】

- その1 -
 前述のように結局ワールド・ツアーは行われなかったわけですが、雑誌『音楽専科』には、《 独占ショット只今到着 TOTOツアー・リハーサル開始!》なる見出しで紹介記事が掲載されました。初心な私はこれを見てすっかり来日公演があるものと思い込んでいたんでしょうね (^^;

 記事の内容は「アルバム『ターン・バック』で、よりへビィ&ハードになったTOTOがいよいよ大規模な全米ツアーを行うが、彼らはそのリハーサルに、なんと一ヶ月もかけているという。さすがのプロフェッショナル集団、完全主義者だけのことはあると関心してしまうが、そのリハーサルの模様が逸早く送られてきたのでご紹介しよう」、となっています。が、そこに紹介されている写真は全て例のビデオ撮影時に写されたものです。この記事には "一ヶ月" と堂々と書かれていますが、どこまで信用したら良いのか(^^; まず一ヶ月もかけてツアーリハーサルをするということは、既にワールド・ツアーのスケジュールが組まれた上で行われていると思いますが、まさかそこまで予定が組まれていたのに、全てそれらがキャンセルされるというのは考え難いですね。又、キャンセルされる程の重大な事象があったならば、当時の人気バンドであったTOTOですから、それなりの情報が流れて来たことと思われます。印象的には「ツアーはあるよ、日本に行きますよ...」みたいな情報は流れては来てましたが、なんかなし崩し的に消え去ったっていうような(^^; まぁ、もちろん私などにことの眞相などは分かるわけもないのですが。個人的には今、この記事を改めて読んでみると宣伝用のパブリシティーだんだんじゃなかろうかと考えちゃいますね。

- その2 -

 それで、TOTOとしてのワールド・ツアーは行われなかったわけですが、実は1981年にイタリアで行われたとする謎のライブ音源が存在しております (注3)。これはデビッド・ハンゲイトがTOTOの一員として最後に行ったライブ・ステージを収録したものと謳われてたりします。演奏曲は欄外に記したもので、確かに演奏自体も "Child's Anthem" から "Runaway" まで素晴らしい内容であるのですが、どうも1981年というキーワードを丸呑みできないんですよね。特に "Goodbye Elenore" 等をあのプロモでの演奏と聞き比べてしまうと、ちょっと雰囲気が違うかなと。それにシンセの音の雰囲気が1982年頃のものと酷似していたりと。

 で、いろいろ調べてみると1982年の秋に行われたとする欧州ツアーでのセット・リストを発見しまして、それはこんな風になっています (注4)。私は日本公演でのセット・リストが頭にあったために、この "Child's Anthem" から始まる意味深のセットに "もしや..." などと妄想を描いてもみたのですが。

 本当はこの1982年の音源を入手して比較すれば一番はっきりとするとは思うのですが、残念ながら入手することができませんでした(^^; ですから、後は想像するしかないのですが、やはり印象としては、1981年ではなくて、1982年のイタリアで行われたライブではないかと推察しています。音源内でメンバー紹介等がされているわけでもありませんので100%の確信ではありませんが、1982年のリストから疑惑の曲を抜いてしまえばその演奏した日時がかなり不透明になり得るわけで。まぁ、それを意図的にしたかどうかはまでは分かりませんが。

 当時のブート事情は当然LPレコードですから、それ用にうまいことパッケージ化して、フルステージを46分にまとめあげたものではないでしょうか。もしくはミス・プリントで "1981年" としてしまったのが、その音源が裏から、裏へと流れる間にいつの間にか、"デヴィッド・ハンゲイトのラスト・ライブ" とかいうふれ込みになってしまったのかもしれませんね。そういうわけで、私的には1981年にはTOTOとしてはライブ演奏を行っていないという認識です。











(注2) 1981年にイタリアで行われたとする謎のライブ音源が存在しております
1. Child's Anthem
2. Girl Goodbye
3. English Eyes
4. A Million Miles Away
5. Luke'S Solo
6. Gift With A Golden Gun
7. Afraid Of Love
8. Goodbye Elenore
9. I'll Supply The Love
10. Hold The Line
11. Runaway

実際のセットリストは?

(注4) 欧州ツアーでのセット・リストを発見しまして
Toto: Live In Milano 1982
Italy, Milano, Vigorelli Stadium September 16th, 1982

1. Child's Anthem
2. Girl Goodbye
3. English Eyes
4. A Million Miles Away
5. Luke'S Solo
6. Gift With A Golden Gun
7. Good For You
8. Africa
9. Solo Paich
10. Hydra
11. 99
12. Make Believe
13. Rosanna
14. Afraid Of Love
15. Goodbye Eleanor
16. I'll Supply The Love
17. Hold The Line
18. Runaway

 このようにTOTOとしてニュー・アルバムを発表した後の活動としては若干に寂しいものもがあったわけですが、音楽的には素晴らしいアルバムを連発し、確実に一つのバンドとして成長していたわけです。が、この頃のビッグ・バンドであったジャーニーやバン・ヘイレン等が確実にヒット曲を連発し、全米チャートを賑やかしていたことを考えると、何故アメリカで良い評価が得られなかったのかがとても不思議でした。単純には、多くのアメリカ人にとってTOTOの楽曲がイイと思う人が少なかったということになるわけなんでしょうが。

 ではこの頃にジェフが参加したセッションについて少し書いてみます。まぁ〜その数はかなりあるわけですが、その中で気になるものをいくつか紹介しておきます。



 まず日本人アーティストであるチャーの『U.S.J』(注5)があります。これは元々はTOTOのレコーディングとしてスタジオを押さえていたところ、何らかの理由でそのセッションがキャンセルされてしまった所を、TOTO側でそれをなんとか有効活用させようとし、結果ルカサー(又は所属事務所)がそれを利用して誰かをプロデュースしようと考え、白羽の矢を立てられたのがチャーだったようです。
 何故、ルカサーが日本人であるチャーに目を付けたのかは、その理由がはっきりとしないのですが、一部では1980年10月にロサンゼルスの市政200周年の行事イベントにチャーがJohnny, Louis & Charとして出演したのがきっかけなどとされていますが、真偽の所は不明です。先のルカサーのインタビューでこの『U.S.J』にも触れているので引用させて頂きます。

「チャーをプロデュースしたんだ。凄く人気のある日本のギタリストなんだ。全てを5日間で済ませたよ。ジェフがドラムをやって、僕はギターをちょっと。前の夜に、僕とジェイ・グレイドンで数曲作ったんだ。
 彼はいいヤツだったけど、あまり時間がなかったんで、よく知り合えなかったね。うん、コミュニケイションは間題なかったよ、彼は英語が上手だったからね。すごく楽しかったし、最高の経験だったね」。

 一方のチャーはこのレコーディングについてあまりよいイメージを持ち合わせてはいないようです (^^; そんなわけですからスティーブ・ルカサーとチャーの二人が顔を合わせることはもう無いものかと思っていたのですが、なんと2004年になり奇跡の再会がありました。それはフジTVでチャーがホスト役を務めている『Char Meets』というギターリスト対談番組でスティーブ・ルカサーがゲスト出演! 20数年ぶりの再会が! おっと、これ以上書いてしまうとLukather's Worldになってしまうので、辞めておきましょう。

(注5) 『チャー / USJ』
 次に、"ポニ・キャニ3部作 (注6)" の一角を締める『尾崎亜美 / Hot Baby』(注7)。日本人ものとしてはかなり良好な仕上がりになっているアルバムで、ジェフの素晴らしい演奏を堪能することができます。なお、そのセッション時のジェフの印象について尾崎亜美がドラム・マガジン誌で語っているので引用させていただきます。

「彼に会うまでは、とても神経質な人じゃないかと思ってました。"気に入らないとスティック投げて帰ってしまう" こんな噂をよく聞いていましたから、"もしかしたら私も投げられるかな!" って最初は少し心配しましたね。で、実際一緒に仕事をしたわけだけど、確かに神経質そうなところはありましたね。でも彼、けっこうおどけたりして、レコーディングの時の緊張を和わげようといろいろ気をつかってくれ、とても仕事がしやすかったですね。
 彼のドラムの音で一番好きなのスネアの音。本当にシャープな音とはあのことですね。今、キレの良い曲を叩かせたらべス卜・オブ・ワールドなんじゃないかな。この録音の時はたいていワン・テイクで録っていたけど、どうしてももう一度やることになった時、彼が一番、1回目と2回目の演奏の差が激しかったですね。で、1回目の方が断然いいんですよ。2回目の時は、今までの決まりごとを無視してでもテンションを上げようとして、自分でドラムづくりをしてしまうみたいですね。もちろんそれで成功した曲もありますけど。キメを焦視してでも別なプレイをするというのは、より以上のものが叩けるといった自信があるからなんでしょうね。とにかく、音楽に対する計算力、ドラマだてのうまい人ですね。また一曲ごとに外に出てきて次の曲に対する精神統一をするのにも感心しました。きっとコンサートのときはもっとスゴイだろうな。もしチャンスがあれば、ぜひもう一度彼とプレイしたいですね」。

 逆にジェフはこの頃の日本人とのセッションについてこんな感想を漏らしてます...。
「ここ3カ月位の間にずいぶん多くの日本人とセッションしたよ。名前なんか覚えきれないくらいね。みんなスゴイメンバーを使うんだね。デヴィッド・フォスターとかジェイ・グレイトンとか...(ミュージックライフ誌より)」。
 やっぱりあちらでもデヴィッド・フォスターとかジェイ・グレイドンを起用するってのは贅沢というか、豪華っていう捕らえ方になるんですね。バブリーな時代を迎えつつあった日本、そのジャパン・マネーの威力なのか!

(注6) ポニ・キャニ3部作
 980〜1981年にかけてポーニー・キャニオン所属のアーティストの奥本亮、尾崎亜美、チャー等がたて続けてロサンゼルス録音を慣行。これを称してポニ・キャニ3部作と勝手に称してます (爆)
(注7) 『尾崎亜美 / Hot Baby』
 もうひとつ、私としてはこの年のベスト・セッションとも言えるのがピーター・フランプトンの『Breaking All The Rules』(注8)です。ジェフはスティーブ・ルカサーと共に揃って参加しています。このセッションが他のセッションと毛色が違うと感じるのは、それが恐らくフランプトンの意向であったのでしょうが、セッションの枠を越えたあたかも一つのロック・ユニットとして録音が行われたことだと思います。以下再びアドリブ誌に掲載されたルカサーのインタビューを紹介します。
「ジェフと僕でピーター・フランプトンのアルバム1枚全部をやったところなんだ。ピーターは凄いよ。最近やった企画の中ではすごく楽しかったものの一つだね。
 A&M社のサウンド・ステージでライブ録音したんだ。ギター・サウンドはデッカくて、ドラムなんてレッド・ツェッペリンのドラムみたいに聞こえるんだ。偶然なんだけどさ、TOTOのファースト・コンサートっていうのは、ハワイでピーターのオープニングやった時だったんだからね (注8)」。

 と、1981年ものに関して目立つものを紹介してみましたが、ここでツキミ姫様にお願いしまして1981年のジェフ参加アルバムを総括していただきました。題して「ツキミ姫の1981年、まとめて一気斬り〜」です。こちらから参照して下さい -->

《 ジェフ語録 (1980年11月) 》
−例えば "TOTOは、ハード・ロック・バンドだ" という意見はどう思いますか?
ジェフ:僕達がエネルギッシュという意味で、そういう見方もあるだろうね。でも、僕達は、単なるハード・ロックよりは音楽的にはより先を行っているし、洗練されていると思うんだ。大きな音も出すし(笑)、ソウルやスピリットの面でハード・ロック的かもしれないげど、ハーモニーや、コードのうえではそれ以上のものをやっているつもりだ。
(注8) 『Peter Frampton / Breaking All The Rules』
(注8) ハワイでピーターのオープニングやった時だったんだからね
15 January 1979 Blaisdell Arena, Honolulu, HW
TOTO opening for Peter Frampton

14 January 1979 Blaisdell Arena, Honolulu, HW
TOTO opening for Peter Frampton
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