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1981
  1981年1月、TOTOのニュー・アルバム『ターン・バック』(注1)がリリースされました。そのコンセプトとして1、2作目とはうって変わり、過剰なプロデュースを廃して「基本に戻る。ロックン・ロールに戻ること」などと言われてたように記憶してましたが、当時のインタビュー等を今読み直してみると、インタビューやメンバーによって話していることがバラバラだったりしてるんですね (^^;
 確かにシンプルさということを考えると『宇宙の騎士』、『ハイドラ』等と比較するとその傾向は明らかで、前作までの重厚感、壮大感をグッと迎え込み、一曲目の "Gift With The Golden Gun" からラストの "If It's The Last Night" まで実にシンプルかつ、パンチのある楽曲群が並びます。
 又、前作まではキーボード中心の音作りであったように思いますが、ここでは全体的にスティーブ・ルカサーのギター・サウンドを全面に押し出した結果、活きの良い若さ溢れる音作りになっています。なお今回はこれらのサウンドを実現するためにカーズ、ジャーニー、フォリナー等をプロデュースし、数々のヒット・アルバムを世に送り出しているジェフ・ワークマンを共同プロデュースとして迎え入れています。

 では、手元にあるジェフとスティーブ・ルカサーのアルバムについてのコメントを紹介しておきます。まずはアドリブ誌に掲載されたスティーブ・ルカサーのインタビューより抜粋。
 「アルバムを作るのに3ヵ月位は掛かったかな。でも、ぶっ続けてやったワケじゃないよ。最初の数週間はスタジオに行ったり行かなかったり。で、その後は出来上がるまで毎日ピッシリやったけどね。

 スタジオ入りする数週間前に曲はまとめておいたんだけど、とにかく手間はかかった。誰かがプレイして、それを元にアイディアを出し合って、一つにまとめ上げたんだ。歌詞の方はトラックをカットした後に完成させたのもあるけどね。

 アルバムのタイトルの "Turn" そのものに意味がある。で、曲は曲でそれぞれに意味がある。まあ、"基本に戻ろう" とか "ロックンロールに戻ろう" みたいな意味サ。アルバム・カバーも前のとは違って随分シンプルだしね。

 どんなバンドでもレコードを作る時、無意識のうちにそうなってしまう "あるスタイル" があるんだけど、僕たちは今回、意識的に同じことを繰り返さないようにしてみたんだ。いつもよりもうちょっとロックン・ロールっぽくしたかったからね。

 『ターン・バック』は過去三年間の成果、これが僕らのファースト・アルバムって感じだよ。と言うのは、1枚目を作る前は実際はバンドとしてプレイしてなかったし、2枚目は少々芸術っぽくて、ちょっと先走った感じだった。今までは全てが実験の段階だったんだ。

 僕らは自分達のやったことを誇りに思ってる。肯定的な側面からも否定的な側面からも多くを学んできた。今、バンドなんだって強く感じてるよ。人間としてもずっと親しくなったしね。すごくエキサイトしてるんだよ、だってみんなが拡散したものじゃなく同じゴールを持っているんだからね。これ以降のアルバムはずっと良くなるよ。そうならなくなったら、僕らもお終い。だけどあと何年もそんなことは起こりそうにないよ」。

 続いてミュージック・ライフ誌に掲載されたジェフのインタビューより抜粋します。
「タイトルはまだ未定で、ただ "TOTO" って呼んでるよ。プロデュースは今まで自分達でやってきたけど、共同プロデューサーを迎えようと決めたのは日本に行ってた時のことなんだ。
 僕たちに二つの要素が働いてね。家を2週間も離れていたこと、次に毎晩プレイしなければならなかったということなんだ。家にいると不規則になりがちだけど、日本じゃ全員すごく健康的な生活をした。とにかく毎晩ステージがあったから皆気を使った。コンサートに気持を集中させたんだ。
 あとでそのステージのテープを聴いたら、音が今までより良くなっていた。丁度、大阪から京都に向かうバスの中で、皆でミーティングをして、こういう風にきちんとした生活をすれば、こんなに元気でいい仕事ができる。今度のアルバムは誰かいい人に共同プロデューサーになってもらって、僕達をコントロールしてもらおう、ということになったんだ。それがジェフ・ワークマンさ。僕達は色々なことは彼にまかせて、音楽のことだけを考えればよかったんで、とても良かったよ。

 日本公演じゃ本当に、僕達ハイ・スクール時代にもどって演奏できたんだ。それだけフレッシュでエキサイティングな気持になれたということさ。ただ、ひたすらプレイするという状況になれたんだね。あれは僕達のピークだったよ。その感覚が今回スタジオの中でもあって、まるでライヴのようなエネルギーがみなぎっていたね。確かに次のアルバムはロックン・ロール・サウンドの要素もある。それも良質のね。

 録音はチェロキー・スタジオでやったんだ。前は嫌いなスタジオだったんだけど、今じゃお気に入りさ。収める曲は全員が参加したよ。8〜9曲入ると思うよ。今までのアルバムは時間をかけ過ぎて、やっている間に飽きてきたんだけど、今回はスムーズに運んで、とても新鮮な気分さ。

 曲作りも、とてもうまくいったよ。色々なプレッシャーが取りのぞかれたし、皆自分のことに専念できたからね。とてもスッキリした気分で取り組めたよ。

 アルバムのコンセプトについては、始めからこのイメージでいこうということは考えずにやった。イメージとしてはとてもシンプルなものになるはずさ」。

なお、JW流のアルバムのレビューはこちらから ==>

 アルバム・セールスは残念ながら前作『ハイドラ』よりも更に後退してしまい、米ビルボード誌では最高位41位と不発に終わります。しかし、日本では相変わらずの人気を博しており、当然ニュー・アルバムに付随した来日公演があるものと期待されてたわけですし、メンバー自身もそのように話していたわけですが、残念ながらワールド・ツアーはおろか、国内ツアーすらさえも行なわれませんでした。その理由は米国内でのアルバム・セールスが伸びなかったことに起因したもののようです (後年、ジェフは "それ" が理由であったことをほのめかしていますし、加えてとんでもないことも仰ります (笑) この件については後述します)。しかし、この後のTOTOというバンドの転開を考んがえると、この時期、このメンバーでのライブ演奏が見られなかったことはとても残念で悔やまれることとなります。

 というわけでTOTOとしての生の演奏は見られなかったわけですが、その代わりにジェフ達は素晴しい送りモノを用意してくれました。




(注1) TOTO / Turn Back

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