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彼の母校であるグラント・ハイスクール (注1) までは歩いて通ったとジョーが話していますから、この辺りからさ程離れた所にあったわけではない思います。
バーバンクという所は、皆さんがロサンゼルスをイメージする時に思い浮かべる煌びやかなイメージとはかけ離れた、の〜んびりとした所で、よくアメリカ映画に出てくるような片田舎町といった風情だと思って下さい。ジェフが成人し自立するまでの間、両親・兄弟達と共にここで生活することになります。
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(注1) 彼の母校であるグラント・ハイスクール
ポーカロ兄弟、ルカサー等が通ったグラント・ハイスクール。
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さてジョーによるとカリフォルニアに移ってからのジェフはすっかりドラムに打ち込むようになり、スポーツには全く見向きもしなくなってしまったとのこと。そしてこの頃は学校でパーカッション・アンサンブル・グループに参加していたこともあり、ジョーの仕事仲間でもあるロサンゼルス・フィルハーモニックのパーカッショニスト、バリー・シルバーマンが週末に開いていたレッスンに通っています。そこで基礎的な勉強や読譜、アンサンブルに関して学ぶことなったわけです。
正式なレッスンに通う一方で、ジェフのもっぱらの練習方法はといえば相変わらずお気に入りのアーティスト達のレコードをかけてはそれに合わせてプレイすることでした。学校が終わると自宅にあった練習室に閉じこもり、ヘッドフォンをつけてはドラムを叩き続けたのです。もちろんそのレコードとは彼のアイドル達であったジム・ケルトナーであり、バーナード・パーディであり、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックスでありました。特にバーナード・パーディがプレイしているアレサ・フランクリンの『フィルモア・ライブ』などは大のお気に入りだったようです。ジェフは常々、自分のプレイは他の誰かがレコードでプレイしたものをコピーしたものに過ぎないと口癖のように話していましたが、それはきっとこの頃のことを思い出して言っていたのでしょう。
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