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1981
フ・ポーカロ、本名...Jeffrey Thomas Porcaro は1954年4月1日、コネチカット州はハートフォードで生まれました。生後まもない頃から名ドラマーへの道を着々と登り始めたようで、父でありセッション・ミュージシャンであったジョー・ポーカロが意図したわけではなかったかもしれませんが、父のドラムに向かう姿を間近に見ていたり、家の中に絶えず流れていた音楽を聞いたりすることで徐々にジェフの体の中に「グルーヴする」というものが芽生え、そしていつしか「ビートを刻む」ということを覚えることになります。それを裏付けるかのようにジョーは、
 「ジェフがまだ3〜4歳の時、彼がマイルスのリフに合わせてハミングしていたのを覚えているよ」と語っているのには驚かされます (リットーミュージック社刊:ドラム・ブラザーより) 。普通の親がこのようなことを話したとしても「ただの親バカだ〜」の一言で片付けられてしまいそうですが、ジョーのようにプロのミュージシャンが言うからにはそれなりの説得力があると思うのですが、いかだでしょうか? ただ、どの親にとっても自分の子供というのは "特別" な存在になってしまうと言いますから...真偽の程は (?)。

(注1) この歳で、スティック片手に練習台に向かうとは...
 そしてそれが、5歳にもなる頃にはちゃんとタイム・キープができるようになったようです。ただし母、アイリーンの話からも分かるように "きちんとドラムセットに座って" というのでなく、床とかテーブルとか、それこそあたり構わずに "カチ・カチ" やっていたようです。そしてジョーがワークショップ等でドラムを教えたりする時にはアイリーンに連れられたジェフは、教室の片隅でそのクラスを見ていたりすることもしばしばあったそうです。

 こうして次第にジェフは父と伴に行動をすることも多くなり、結果、自然と音楽業界に身を浸けることになりました。初めの頃は「父親に連れられた来た少年」だったのでしょうが、何かのきっかけからか、周りにいた大人達がちょっとした手解きをジェフにし出しました。そのうちにするすると8ビートやらバックビートが叩けるようになったのです。
 この頃は勿論ジョーからもいろいろと基礎的なことも学んでおり、セットなしの、スティックと練習台だけでルーディメントなどをやっていたようです。ただこの頃のジェフが毎日ドラム漬けの状態であったのか? というとそういうわけでもなく、アメリカのごくごく平均的少年のように野球やらフットボールといったスポーツにも大いに興味があり、子供らしい生活をしていたそうです。

今では伝説とさえなっているあのバスドラをスライドさせるテクニックですが、実は何と既にこの頃、ロサンゼルスに移って来る前に、その原型となる基本スタイルが出来上がっています。まずはジョーの言葉を借りると、
 「カリフォルニアに引っ越す前、あれは多分ジェフがまだ10歳の頃...、自宅で僕のドラム・セットを使って練習してたんけど、バスドラのペダルにほとんど足が届かなかったんだよ。多くの人たちは彼が斬新的なバス・ドラムのテクニックを生み出したと思っているようだけど、あのつま先でやるスライディング・テクニックは、ペタルに足が届かなかったために使っていたものを発展させたものなんだ」。

 これについてのジェフは...。
 「まだ僕が小さかった頃は良くレコードを聞きながら練習してだんだ。曲の中でバスドラのダブル・ビートとか出てきたりしてね。でもそれをどうやってるか分からない。もちろんツー・バスなんて出来ないし、そこで何とか工夫しているうちに 自然と "ペダルの上で足を滑らせる" ということを思いついたんだと思うよ。自然な感触が得られるようになるのに2年位掛かったけど」。
 なんとなんと、あのスライディング・テクニックはこの頃からあったんですよ! 後年我々が見聞きするような完璧なものとはほど遠いとは思いますが、それでもその形は出来上がりつつあったのです。

 ここでユニークなエピソードを一つ。当時の状況を考えると例に漏れることなくジェフもビートルズが大のお気に入りだったようです。ジェフとマイク・ポーカロの二人は段ボールを切り取って作ったギターでビートルズのレコードをかけてはマイム演奏をして楽しんでいたりしてたそうです。そしてこの芸で、彼らの通う学校で開催されたタレント・ショウに出演し、優勝までしてしまいます。後年のインタビユーでもリンゴ・スターを好きなドラマーとして挙げていますし、ビートルズの最後のレコーディング・アルバムである『アビー・ロード』をフェイバリット・アルバムとして発言しているのもこの頃の影響大なのでしよう。
 1979年頃のローリング・ストーン誌でのインタビューでも次のように語っています。
 「初めて買ったドラムはラディックだったね。何でかって? あの頃のドラム少年達はみんな "リンゴ・スターとラディック" の虜だったのさ(注2)」。
 . . . が、初めて買ったドラムセットに関しては他のインタビューではこう答えてます、
 「1967年、中古でスリンガーランドだったね」
むむむ、一体どっちが本当なのか?

 ちなみに、この頃は弟のマイクと一緒にリッチー・リポーテスという有名なパーカッショニストからレッスンを受けたりしてもいました。マイクもドラムのレッスンを受けていたのですね!
(注2) リンゴ・スターとラディック" の虜だったのさ
 リンゴ・スターはビートルズのドラマーとして極初期にプレミアーのセットを使っていましたが、それ以降は一貫してラディックのドラムセットを使い続けました。

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