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運命の出会い、TOTOリハーサル潜入記
1982年5月5日


 さて当日のことです。前回の『Hydra』ツアーより約2年振りとなるワールド・ツアーが日本から始まる為、グループはその最初の公演地である倉敷市においてツアー・リハーサルを5月5日、6日と2日間行いました。私はリハーサルの為に用意された会場の児島文化センターに向かう傍らパールのY氏より、事前に色々と興味深いを話を聞かされました。ご存知のようにジェフはパールと契約を交わした直後だったわけですが(注1)、実は契約後に最初にジェフに渡されたドラム・セットがトラブルとなっていた……原因はどうやらバス・ドラムのフープが割れていたらしい(注2)……、元来ジェフ自身ドラム・セットに関しては非常に神経質らしい、今回はかなりナーバスになっているようだ!と……。

 会場に入るとドラムのセッティングがこれからという所でした。まずは当時のツアー・ドラム・テクニシャンであるポール・ジェイミインスン(多分)だと思いますが、彼がステージ上でセッティングを始めました。ある程度セッティングが出来た頃を見計らってステージに上がったY氏が
「今度新しく発売したペダルとスネアー・スタンドです、是非ジェフに見たもらいたいのですが」と言うと、ポールは
「じゃ〜、少し後ろの方に置いといた方がいいね。それで、もしジェフが興味を示して手に取ったら話しかけてみたら。最初こちらから渡さない方が良いよ!」との事でした。その話しを聞いてY氏と私は「一体どんな気難しい人が来るのかちょっと恐いね!」と、少しピリピリしました。

 それではここで皆さんご期待の“真近で観た”ジェフのドラム・セットのお話しをします。Setting
 まずそれは一目見て大変叩きやすそうなセットでした。ハイ・ハットとスネアー、スネアーとタム・タム、スネアーとフロアー、ライドとクラッシュ、etc. それらのバランスがとてもGOODでした。そして次に目に付いたのがRUDEのハイ・ハットでした。Y氏と「あれは一応PAISTE社製だけど見たことないな〜」と。
 私の記憶では当時はまだRUDEシンバルは日本には輸入されていなかったと思います。多分プロトタイプとまでは言いませんが、実験的に使用していたんじゃないかと思います。これは余談ではありますが、後にLINEシリーズが出る前にもそれと似たような仕様のものをジェフがロゴ無しの状態で使用していたような記憶があります。更にDW(注3)などというドラム・ペダル、更にトップ、ボトム共にクリアー+クリアーのヘッド・チョイス!この組み合わせというのは、これまた当時使用していた人もいたかもしれませんが、一般的には裏ヘッド同士というイメージだったと思います。なにかもう見るもの全てが当時としては不思議なセットで、とにかくギター革命児のエディ・ヴァン・ヘイレンの如くこれらの全てが今日のドラムスに大きな革命をもたらすことになるものでした。
 ちなみに10”のT.T.のチューニングは打面より裏面が約1音高かったように思います(!)。で、12”、13”、16”とサイズが大きくなるに従って、少しずつ音程差が少なくなっていくように思えました。でもジェフは会場とかによってセット、チューニングなど微妙に変えていたようなので一概には言えないですね。

そしていよいよジェフの登場です!

▼本文中の間抜けな注釈は全てJeff's World管理人によるものであり、原稿を頂いたよっさん氏のコメントではありませんので悪しからず。

(注1)パールと契約
私は武道館公演に行ったのですが、そのステージでジェフのドラムがパール社製になっていたことにひどく驚いた事を記憶しております。てっきりヤマハだと思っていましたので。

(注2)トラブル
ジェフが1979年頃に受けたインタビューの中で、その頃契約していたラディック社製セットのフープが割れていたことについてかなり憤慨していたコメントをしていましたね。

(注3)DW
Drum Workshop

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