「......ドラムそのものはスタンダードだ。深胴じゃない10"、12"、13"、14"のRIMSを付けたタムタムと、パール・キャノン・タム。オーストラリアのBrady社製の10"のスネアー、小さいやつね。あと新しいラック」
<Rhythm & Drum Magazine誌 No.35(1991年2月号) P.13より〜>
1990年10月の『Past To Present Tour』を見逃してしまった私は後悔しつつこのインタビュー記事を読みました。
「あっ! キャノン・タム使ってる、買ってて良かった〜! でもどんな風に使ったんだろう?
へ〜、10"のスネアーを使ってるんだ! Brady社? 知らないなぁ。
ヘッドとかスナッピーとか日本じゃ手に入りにくそうだなぁ......」。
「......10"×5.5"、12"×5.5"、12"×7"、14"×6.5"という一風変わったサイズの4台だが、ジェフ・ポーカロ、他多くのスタジオ系ミュージシャンの間では......」
<Rhythm & Drum Magazine誌 No.38(1991.8月号) P.132より〜>
ジェフの来日ライブの写真に写っていたスネアーが新商品として紹介されている記事を見て、
「どんな風に使うんだろう? でも、値段も高いし部品の供給とかヘッドやスナッピーが手に入り易いんだろうか? 使ってみたいけど......? まっ、いいか!」で、話は流れた。
「『TOTO LIVE(注1) 』の中の"Georgy Porgy"で叩いているサイドのスネアーがBrady社製か! 凄く良い音してるなぁ、はっは〜こうゆう風に使うんだ! なるほど!」と、感動しました。
人それぞれ好みがあると思いますが、勿論ジェフの全てのプレーが好きな私ですが、私にとっては特に晩年のプレーが良いんです! TOTOで言うならばJoseph加入後の『Fahrenheit』、『The Seventh One』、『Past To Present』に収録された新曲等。そして、勿論"『Kingdom Of Desire』!
「ポーカロ、ここに帰る。」
<Rhythm & Drum Magazine誌〜No.45(1992.10月号) P.154より〜>
悲しみに沈む日々、「ジェフ・ポーカロ氏の突然の不報に接し、心からご冥福をお祈りいたします。」より「ポーカロ、ここに帰る。」の言葉が不思議と目に焼き付きました。
<Rhythm & Drum Magazine誌〜No.46(1992.12月号) P.146より〜>
当時私はcalato社製のジェフ・ポーカロ・モデルのスティックを使ってましたが、その横にまたしても"Brady"なる文字?
欲しいけどやはり値段が高いなあ〜、ヘッド+スナッピーなどの入手が難しそうなので断念! ただし、NHK-BSで放送された『'90 PARIS LIVE』(注2)、『Paul Young _ Hope In A Hopeless World』、『TOTO _ Jake To The Bone』などなど、聞けば聞く程Brady社が気になり始めました。
そして、ジェフが行ったセッション関連のCDを集め出した頃には、とにかく
「あのサイドにセットしてあるスネアーどうしてもが欲しい〜」と思うようになり、とうとう腹を括って地元の某楽器店に足を運びました。
が、時既に遅し!
「もう在庫しかありません! あるのは12"×7"のホワイト・ギムレット(色)だけです。輸入ももうしておりませんので」。
かなりのショックを受け、渋々諦めました。
最近になってから知ったのですが、12"×7"が一番セッションで頻繁に使われていたみたいですね。惜しい事をしました! 買っておけば......。
こうして私の心の中に、今は亡き師匠の思い出と伴に"Brady"という文字が刷り込まれてしまったのです。
が、晩年のジェフは小口径のスネアーの使用だけでなく、どうもドラム・セット全体の音が何か違う? 特に『Kingdom Of Desire』に関しては明らかに今までとは違う!?と思いつつ、釈然としないまま長い年月が過ぎてゆきました......。
1988年〜1990年頃のジェフは、使用楽器に対して何かの転機でも感じたのか、もともと常に何かにアプローチする姿勢からか、エンドースの契約上の関係なのか、Brady社製のスネアーを使い始めたり、"Pamela"、"Stop Loving You"のプロモーション・ビデオでもでもKジルジャンをセットアップしていたり、パールの110(スティック)から名前が消えてたり、ある意味一つの区切りを向かえていたのでは?、と思えてなりません。