目の前で展開されるジェフとY氏の英会話。
 ちんぷんかんぷんな私でもY氏の親切丁寧な通訳で、
 「ラックを開発、発売するのか・・・?」と・・・。
 その時です、

〜 発売はある! 〜

 気のせいかもしれないが、私の頭の中で小さな囁き声が聞こえました・・・。

 今回は、ラックだけの話なので、その後のあれやこれ、妄想等は、『運命の出会い』『ジェフがメイド・イン・ジャパンに求めたものは?』を参考にしてください。


 管理人さんから、"オリジナルラックはどうだったんでしょうかね?" なんて、ネタを振られ、振られればスルーで来ない私(笑)、遠い記憶を呼び起こすために"運命の出会い"の日まで時計を巻き戻す試みをしてみました。
 とはいうものの、ほとんど思い出すことはなく、でも、写真とにらめっこしてたら、"あれ? 記憶では、ほとんど、クルー1人で組み立ててたような…?
 なら、どうやって組んだんだ?"
 "そう言えば、ラックバー置いたときに…"、"最後に…"
 などと、少し記憶の断片が? いや、勘違いかも? まあ、どちらでも構わなかなぁ? と思いますので、少しだけ書きます。

 あの日、会場に着いたときは、まだ、全ての機材が運び込まれてなく、ステージもヒヤーとしてガラーンな感じだったと思います。ドラムはヤマ台が出てたのみかなっ…?
 その様子から、"これは、ステージのセッティングを最初から見れるチャンスかも?"と、密かに楽しみに思ったように記憶してますね。そこへ、Y氏が、星野楽器の方とお茶しに行かないかとの誘い! 密かな思いのある私は、やんわりお断りして、そのまま、会場の椅子に居座ることとなりました。
 その内、ドラムの辺りに部品が運び込まれ出し、ある物は左フロア側下に置かれるときに"ドスーン"と、誰もいない会場に響き渡る位の大きな音を立てるものもありました。
 組み立てが始まりましたが、私の記憶では、ほぼ一人のドラムテックが作業していたと思います。なので、管理人さんに、
 "オリジナルラックの組み立てはどうしてました?"
 みたいなネタを振られ、そう言えばと当時の様子を思い返すと、
 "サイドバー(記憶では、なぜか、左フロア側から!)を、ストンとはめ込んだ"
 との、ショート映像のみが脳裏に蘇りました…。
 ならば、ラックの脚は、既に立ててあったことになる…、けど、その確証も、その後の、記憶も途切れる。なので、既に脚は立ててあり、左サイドバーが最初だったのか? それとも左サイドバー→右サイドバー→フロントバーの順番だったのか? それは、私の記憶には、残念ながら残っていません。
 とにかく、上からストン! はじめにドスーンと左フロアに置かれた部品が、多分、オリジナルラックのサイドバーだったのでは…。
 ドスーンとストン! が、音による発掘記憶(爆)

 それともうひとつ、これはハッキリと覚えてます!
 ケーブル類も含めて全体のドラムセッティングが終わったら、ドラムテックの人が、大きめのウェスと、見た目はガラスマイペットみたいな、噴射式の手動スプレーを持ってきて、シンバルからドラムからスタンド、そして、今回から?(笑)メッキ塗装バリバリのラックまで、"シュッシュッ、拭き拭き、シュッシュッ、拭き拭き"と、ジェフが来るまでの間に、丁寧に掃除して仕上げてました!
 でも、掃除中も掃除後も、最後まで、オーバーヘッドのクロスさせていたマイクのセッティングを気にしていたような記憶も、あるような、ないような…。もう、私のコンピューターも終わりかも?(苦笑)

 それとここで、ジェフのオリジナルラックから進化の度合いを考えてみたのですが、パール版のラックは「進化」というよりも、誰でも使えるモノということを前提条件とした考えられた「製品化」であり、カタチとしては似ていますが、販売を目的として作成された全くの別の物になるんだと思います。コスト的に誰もが買える値段設定、持ち運びがしやすくセッティングも簡単&片付け楽々、それぞれのドラマーが自由にセッティングすることができる…プロユースと言いますか、その上で、スタジオとかだと足まわりスッキリ(タムタムやシンバルの数だけスタンドを揃えなくていい)、ドラムもシンバルも音の分離が良くなる! だったのかなぁ?と、考えます。

■口謎の多いジェフが作成したアイディアが詰まった初代ラック。正面、この角度から見るとラックは後方に向けて末広がりの状態でセットアップされているのが見て取れる。


■口'82年のツアー時は、ラックはジェフのオリジナルモデルを使用。前回の来日時とは異なり、メッキ加工が施されている。
■口シンバルはマイクスタンドの流用? しかし、裏側がら取り付けたものはボルト等が見当たらないので、どのように取り付けているのだろうか。正に、試作品の凄み? という状態で、鉄柱から作っているのか塗装もされていない無垢の状態である。 ■口サイドバーとフロントバーのジョイント部分ですが、2分割じゃなく3分割になってるの分かりますか? 前横との組み合わせじゃなく、稼働の問題か耐久性の問題か分かりませんが、たぶん、フロントバーとサイドバーの間に同じ様な部品をかましてますね。脚のラック側付け根(脚の一番上の部分)に受けで同じ様な部品が付いている様に見えるので、私は、フロントバーとサイドバーの間と判断しました。
■口 脚部の床面との接地パーツは後の市販品と異なり、大型の四角パーツが使われているのがはっかりと分かる。

■口こちらも'82年のツアーより。10"タムホルダーが辛うじて、ストン!と差し込んでるのが確認できるかなぁ?

  この年、ジェフの来日とドラム・マガジン誌の創刊が重なり、幸運にもジェフが記念すべき創刊号の表紙を飾ることに。さらに内記事などにもかなりのジェフ露出! とりわけ、私の心に残ったドラム・マガジン創刊号におけるジェフ絡みの言葉。

     “ラックはステージで完全燃焼するための城”

 これには、かなりグッときました。

■口 ラックはステージで完全燃焼するための城
 ジェフは、ドラム・フリークと言えるほどのマニアで、彼の家には世界中のあらゆるドラムがある。オヤジさんのジョー・ポーカロの影響で、いろいろな音楽を経験し、また楽器としてのドラムをよく研究している。ジェフにとって、ドラムは○○社製ということは本来意味がなく、良いものであれば、どんな片田舎の職人がつくったものでも愛用してしまう。ペダルのアクションを自分の好みにより近づけるために歯付き座金(こんなパーツ知ってるかな?)を吟味したり、より自然なドラムの鳴りを追求するために空気穴の位置を変えたり、独自のハードウェアを設計したり……。ジェフのオリジナル・ラックは、まさに、彼がステージで十分に燃焼したいがために築いた城のようなもので、彼の研究心の結晶とも言えるだろう。そんな彼の理想にもっとも近いドラムは、パールだ、と彼は語っている。それは、世界中のドラムを知り尽した彼が、サウンド的にも技術的にもパールを認めたということなのだ。
 ジェフのドラム・サウンドは、とってもナチュラルであたたかい。彼は、共感できるミュージシャンなら誰とでもうちとけてプレイし、しかも自分のサウンドをぶつけていく。レコーディングでは、レモ・コーテッド“アンバサダー”を使用し、あくまでも余分な音のみをカットするために若干ミユートする。ライヴでは両面レモ・クリアー・ヘッドでノーミュートだ。しかし、いつも変わらないのは、ドラムの持つサウンドをめいっぱい発揮させるマイク・セッティングだ。そしてドラム・シェルはメイプルのみ。彼のモースト・フェイバリット・シェルだ。
 ジェフは、日本に来て、パールのドラムエ場を見学した時にも、試作品をつくっている工作室に入って感動し、“ボクも年をとったら、こんな部屋をつくってみたいな”と言って、相変わらすのドラム・フリークぶりを発揮。どこまでもドラムを愛しているドラマーであった。
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